[いけばな/鋏の音 1] 決別 紫苑

Posted on 4月 8, 2007

ハナカイドウ(バラ科)@海蔵寺(鎌倉)photo by sion

今から四半世紀前。
わたしは、花鋏を置いた。
一日の大半を割き、最高の癒しでさえあったいけばなに、決別したのである。

生け花を始めた動機は、かなり不純だった。
当時勤めていた銀行で、先輩が花嫁修業に始めた教室に、好奇心でついて行ったのだ。
そこは、偶然にも小学校から高校まで一緒だった友達の家だった。そのご縁で先生は預金をしてくださるようになり、我が支店の高額預金者となった。更に支店をあげてサポートするようになったので、何が何でもわたしのお稽古は仕事の延長であり、最優先となったのである。
動機はこのように不純であったけれど、わたし自身はすっかりその世界のとりこになり、いつしか毎週金曜日の五時を、何より心待ちするようになったのである。
教室では、単なる花を生けるという技術を学ぶのではなく、女性としてのたしなみをきちんと教わった。門をくぐり、玉砂利の敷かれた道を教室へと足を運ぶときが緊張の瞬間であった。挨拶がきちんとできなければ、その教室には入れてもらえないからだ。
夏の暑いとき、真冬の寒いとき、四季折々、その都度の挨拶を考えて、襖を行儀よく開く。
「先生こんにちは」
深々とお辞儀をし、
「お暑うございます。庭にまかれたお水が涼を呼びますね。お蔭様で身体の中から汗が一気に引きました。本日もお稽古をよろしくお願いいたします」
「暑い中をご苦労様。よろしくお願いします」
と、こんな感じの問答で入室を許され、お稽古が始まるのだった。
生徒は、小学生から老人までいろんな人々が訪れた。その生徒一人ひとりに気を配り、花を生けるという技術のほかに、言葉遣いや挨拶、世間の常識を教えてくださったものである。
先生は、ものすごい美人だった。その上おしゃれで抜群のセンスの持ち主だった。洋服も和服も見事に着こなしていて、一緒に歩いていると必ず誰かが振り向いた。わたしにとって先生はまさに雲の上の存在であった。褒めてもらえると舞い上がり、明日への希望へと繋がるのだった。
そんなわたしは人の何倍も技術の向上に努め、いけばなに関するすべての勉強に日々精進し励んだ。
結果、三年近く先生の助手として仕え、代稽古をさせてもらうようになった。同時に、自宅で自分の生徒に教えたり、出稽古もするようになっていた。
でも、どうしても中央へ進出したいと思うようになった。わたしには無限の可能性や才能がある気がしてならなかったのだ。
周囲の大反対を押し切って、わたしは上京し、あるイケバナ公募展に作品を持ち込んだのである。
結果は、驕りにおごったわたしの鼻を、見事にへし折った。 
鏡と晒しミツマタ、黒布を使った1立米の作品である。テーマは無限。
わたしの中の生け花からは対極にある、野心に満ちた、観念的で中途半端な作品だった。
今思い出しても、愛せない作品だったと思う。
恩義のある先生からは破門され、わたしの一番の癒しだった生け花が一気に色を失って、辛くて苦しいものに変わっていった。
きっと、楽しむというゆとりがなくなっていたのだろう。
自問自答を繰り返し、長い時間を費やして、悔いはないと確信した。
だから、わたしは静かに鋏を置いた。

             ☆

でも、最近わたしの内側がとても静かになった。
もしかしたら、再び鋏を握る日が近いのかもしれない。
なんだか、そんな嬉しい予感がしている……。

画像:ハナカイドウ(バラ科)@海蔵寺(鎌倉)photo by sion

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Author: 紫苑
Profile:大好きな職業は専業主婦。 普通の主婦で生涯を終えたかったのに、願いは叶わず二度目の独身中。 掃除をしたり洗濯をしたり、家事を終えた時の充足感は最高です。 現在、生活の為にOLをしているので、早起きをして家事を楽しんでいます。 そして家事の次に好きなことが、花と文章を書くことです。 そんな日々を綴った『紫苑の吐息』を応援してください。
Data: 2007 年 4 月 8 日 at 1:50 AM

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