本間泉、生成するイメージの王国の王女

Posted on 3月 5, 2011

絵というのは、キャンバスに絵の具をなすりつけたもの、という言い方がある。物理的にいえば、その通りだ。

それがあるとき、抗いがたい磁力を持って、僕たちを惹き付ける。あるいは所有したいと激しい欲望を起こさせる。

そこにはすでに魔術や錬金術という名に値するプロセスがある、というのが僕の考えだ。

そこに何があるか、物理的にも科学的にも説明しようがないのであるから。ある説明を加え得たとしても、それは言葉に過ぎない。その説明を聞くことで、人は芸術の持つ磁力との直接のふれあいを断念するのだ。

美術館で、解説を読んだり聞いたりすることに一生懸命になれば、作品との交流にはエネルギーが回らなくなる。

解説は理解の糸口にはなる。ある作品の理解が扉を開ける行為だとすれば、解説が小さな扉をあけてくれることがある。しかし、それは限られたいくつかの部屋の入り口でしかない。

多面的な知識を得れば、いろいろな入り口が作品に入れる。そういう観点に立てば、学者や物知りがいちばん絵を理解していることになる。

しかし、絵を見て、感動するということになると、物知りも何も知らない人も対等であろうと僕は思う。

ものすごく知識があっても、心を動かさない人もいれば、何も知らないで絵を見て泣き出してしまう人もいるだろう。それは人の中で感受する場所が三段階あるのだ。頭脳、心、魂。頭脳で感受してしまえば、心は頭脳のフィルターを通ったものしか受け取らない。

あー、前置きがいくらでも長くなってしまう。

つまり、ここに掲げる写真の3枚の絵の前に虚心で立ってほしい、ということ。
言葉に翻訳しようもない何かと確実に交流できる絵だということ。

大きな美術館の印象派や有名画家の展覧会はおおぜいの人が並ぶけれどもね。その何千分の1の人たちでいいから、自分の感覚で動く人たちがいてほしい。
そうでないと日本の若い作家が勇気づけられない。

僕はこの絵を初めて見たとき、不思議な奥行きに惹かれたんだ。どこまでも心が入っていけるスペースがあるような。どこまで入っていっても次つぎにイメージが生成されてくる現場いるような感覚。

リアリティというような言葉ではなくて、この場所が実在しているのに届かないようなもどかしさを感じるのだ。

作者の本間泉さんは、じつは多層視覚を持っている。現実のものごとが見える以外に、つねに別の色彩を見ている。
色が見えているということは、当然ある形状が見えているということで、それは人や物のオーラのようなものかもしれない。

だけれども、それでオーラのようにあれこれ判断したり、神様が見えたりはしないようだ。ただ色が静かにたゆったっている世界に彼女は生きている。

その世界を覗かせてもらうわけにはいかないが、彼女の作品を僕らは見ることができる。

**
これは「本間泉×谷本光隆 二人展」に展示中の作品。
他にコラージュもある。

谷本光隆さんの作品も水準高い。
僕は以前に二人とも作品買ったものね。
会期が長いのでお近くに行かれる方はぜひ!

スピリチュアル・ワールド~存在の表現展 vol.2
2011年2月26日(土)~ 3月27日(日) 

A/A gallery(アーツ千代田3331内)

http://www.ableart.org/

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Author: 村松 恒平
Profile:村松恒平 1954年東京生まれ。【DRAGON ART CREATOR'S REVIEW】編集人。編集者、ライター、芸術家。著書に『プロ編集者による 文章上達スクール』シリーズ(メタブレーン)など。面白いプロジェクトや、お仕事募集中!
Data: 2011 年 3 月 5 日 at 2:00 PM

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