「チンギス・ハーンとモンゴルの至宝展」レビュー 村松恒平
Posted on 2月 12, 2010
朝青龍は、我々には永遠に読み解けない詩であった。
それは、「力」という名の詩である。
『チンギス・ハーンとモンゴルの至宝展』を見に行ったのは、モンゴルの大横綱朝青龍の引退表明の3日前だった。場所は奇しくも両国・江戸東京博物館である。
何か懐かしいような異国、モンゴルについて、僕は何を知っているだろうか?
巻上公一さんに少しだけ習ったホーミーや、三枝彩子さんの歌で聴いたオルティンドー。
モンゴルを訪れた友人が、「向こうの犬は大きくて獰猛で狼のようだった。いや、狼なんか噛み殺しそうだった」と語ったこと。
そして、世界を支配下におさめるかに見えたチンギス・ハーン。
モンゴル帝国はチンギス・ハーン一代で、世界人口の半分をその支配下に治めたという。
獰猛で果敢で速度と力に満ちて、情報戦にすぐれ、ひれ伏し帰順するものは許すが、少しでも逆らうものは何の躊躇もなく皆殺しにする超軍事国家。
モンゴルは13世紀に猛威をふるった。
それを残虐と指摘することは、虎や獅子に向かって、お前は残酷だというのに似ている。
しかし、虎や獅子も空腹でなければ獲物を襲わないというが、モンゴル帝国はあくまで飢えていた。とどまるところを知らない業火のように激しく領土を拡大していった。
彼らは、その力を持って世界の果てを見極めたいと願ったのか。
しかし、その領土は彼らの治世の観念と能力を超えて急拡大したためにあっという間に四分五裂して、消滅した(いや、彼らならずとも、これだけの急拡大は支えられないであろうけれども)
いや、僕はモンゴルを知らない。
ここに書いているのは、正確な史実ではなくて、僕の中のモンゴル帝国といっておいたほうがよかろう。
そのモンゴル帝国にとって、至宝とは何だろう? というのが今回の興味だ。
パオに住んで遊牧する民。仮借なく騎馬で侵略し征服する民。
たとえば、異国の宮廷に踏み込んで、略奪するときにも、彼らを内から突き動かす力と速度からすれば、そこは見すぼらしい小屋と同様の通過点に過ぎなかったのではないか?
*
思った通り、展示には、たとえば、フランスの王女様がしているようなきらびやかで精妙な宝石を使った細工物などはない。
美しい女性の装身具があるにしても、もっと、野趣に満ちて骨太なのである。
そのように考えると、西洋の美術は静かな室内でじっと鑑賞するように作られているとわかる。
それよりも、目を引くのは男性的なもの、実際的なもの、軍事関係の文物である。
鏑矢の鏃などを見ると、その音が聞いてみたいと思う。
たぶん、僕ら日本人が鏑矢と聞いて想像するような、のどかで情緒的な音ではなく、モンゴルのどこまでも広い地平線に鳴り響くほど大きな音が鳴るのではないだろうか。
銅の鏃も音もなくすばやく飛んで、殺傷力が高そうだ。
鏃を通じて、よく訓練された屈強な兵士がいっせいに矢を放つ光景が浮かんでくる。
パオをそのままに乗せて、たくさんの牛に引かせる威風堂々の戦車の模型とか、投石機とか、何かふと血腥い乾いた風が吹くような物たちがいろいろ想像を広げさせる。
極めつけは、写真の◆龍が彫ってある王座(一級文物) 清代 内モンゴル博物院蔵だ。写真は正面からだからわかりにくいけれども、大きな鹿の角を逆さに使った肘掛けは、鋭い先端が正面に向けて突き出していて、じつにかっこいい。
ギーガーの元祖のようなパワーも感じるし、マッドマックスや暴走族の美意識を百倍くらい高貴にしたらこうなるかもしれない。
荒々しいけれども、一分の隙もない。
これはすごい。
それから◆大威徳金剛の面 清代 内モンゴル博物院蔵
個人的にこれも気に入った。
色合いといい、三つ目であることといい、わが守護神的作品、悪夢バスターとあきらかに血縁があるように思われる。
大威徳金剛の面には、5つの髑髏がついている。髑髏までは及ばなかった。
この髑髏は魔除けであるとともに、敗者の屍をさらして威を誇るものだろう。
そういえば、草原では戦争に負けた相手の生首を子どもたちがクリケットのボールにして遊ぶ、という物語の描写をどこかで読んだ。
わが内なるモンゴルでは、生も死もどこまでも乾いている。
湿った心情の居場所はない。
この展覧会を見ると、日本にはない猛々しい詩情が心をよぎっていくのである。
「チンギス・ハーンとモンゴルの至宝展」
http://www.mongolten.com/
2010年2月2日から4月11日まで
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