通りすがりに(COSMIC WONDER) 高橋キンタロー
Posted on 11月 26, 2007
南青山の裏通り。
真っ白に塗られたビルの壁にシンプルなロゴと入り口らしき開
口部、でもがらんとした空間があるだけで中には石がひとつぽ
つんと置いてある。駐車場のようだけど車は入れない。
空間の奥の開口部には植え込み。これだけではまったく何だか
わからない。
中に入り奥の植え込みを覗くと、一旦ビルを抜けるように人ひ
とり分の踏み石が敷いてある。いいのかな?と思いながら踏み
入って回り込むと真っ白な空間の入り口があり、思い切ってド
アを開けると誰もいない美術館の一室のような空間に白やステ
ンレスの大小の箱。壁に数点の写真作品。ますますわからない
・・・入ってしまっていいの?
やっと出て来た人にここはショップなのかギャラリーなのかと
聞くと、どちらでもあるという。彼が真っ白な壁の一部を引き
開けると中に洋服が並んでいた。
大小の箱も注意深く見ると前面が開くようになっていてシンプ
ルなカットソーやパンプスなどが入っている。コットン中心の
デザインされているけどシンプルなファッションがいい感じ。
といってもプライスタグもついていないから気に入ったふり
して値段を聞くしかない。いや、ふりじゃないけど(笑)
ぼくはその名前に気付いたいたからズンズン入っていったけど
それでもかなり戸惑う。申し分のない空間にコンセプチャルな
作品と商品展示、高級で入りにくい店はあってもこんな入りに
くい「ショップ」ははじめてだ。通りすがりの人が中まで入っ
ていく可能性はゼロに近い。
最近見たデザイン・イベントは収益を無視出来ない企業のスタ
ンスを感じてしまい刺激を覚えなかったが、こんなところで美
術の領域に踏み込むアパレル・コンセプトに出会う。
意識を着る。そんな時期が自分にあったとは思ってないしファ
ッションの行方もわからないが、何かがはじまろうとしている
と思わせる場所。
このCOSMIC WONDER、今現代美術館で開催中の
Space for your future展<http://www.sfyf.jp/>に参加してる。
ショップ同様コンテンツが見つけにくいウェブサイト
<http://www.cosmicwonder.com/>
もかっこいい。
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シュルレアリスムはなぜ疲れるのか/そして、とに~さんの講演と塩田千春
Posted on 11月 19, 2007
とに~さんが横浜美術館で講演、解説をするという歴史的なイベントに立ち会い、『シュルレアリスムと美術』を観てきた。
シュルレアリスム絵画は、一言でいうと「疲れる」。
シュルレアリストたちが夢見たもの、彼方に行けるという予感の現場は面白いものであったに違いないが、残された作品たちは、どちらかというと、僕を疲れさせる。
シュルレアリスムは無意識世界の探検と開示を意図したものに違いない。そのアイデアを具現しようして、画家たちは、それなりの写実的な技法を用いて奇妙なイメージに具体性を持たせる。
そのために、一枚の絵の中に描写がアイデアに従属して説明している部分が必ずあって、これは無意識的であるどころか、意識的である以上に計算ずくであったりする。
無意識なんてことは表だって言わない普通の絵画より、より目的的な描写になってしまうという逆説があって、その部分が観るものを消耗させる。
通常の絵画のほうがよほど無意識的な養分を多く含むように感じられるのだ。
たとえば、ダリの大道絵描きをテカらせたような見事な描写力も、一人の作家として見れば愛らしいのだろうが、シュルレアリスムという領域で括られた約120点の絵の中で見ると、やはり気を削がれる。
ピカソの『少女に手を引かれた盲目のケンタウロス』という小品だけが、種類が違った。シュルレアリスムの流れの中に置かれてもピカソはピカソだ。
シュルレアリスムは、将棋で言えば、ハメ手のような袋小路だ。
しかし、それにインスパイアされた表現は多様に広がり、すでに歴史になっている。それを否定する気はない。
絵を見る体験としては、さほど楽しいものではなかったが、一度は見ておくべきものだろう。もっと若い頃だったら面白かったに違いない。
**
とに~さんの講演は、映像や音楽も使い約1時間、懇切ていねいな説明ながらも中身のぎっちり詰まったものであった。
シュルレアリスムが出現する歴史的必然性を大ナタで割ったような単純明快さで説明したのは、たいへんわかりやすかった。
こういう思いきりのいい解説は、美術界の人にはできないと思われる。
横浜美術館の学芸員もニコニコ聞いていたので、歴史解釈で容認できないほどの逸脱はなかったのだろう。
シュルレアリスムの見立ては、なんと『みんなの歌』であった。
みんなの歌にトラウマソングというものがあると初めて知ったが、これとエルンストの作品がベストマッチであったのが面白かった。
こういうアプローチを美術館が受け入れるというのは、まことに面白いことである。横浜美術館内部でも好評で、さっそく次回、次々回の予定なども決まっていたようだ。
この動き、注目、応援したい。
–
横浜では、もう一つ。この講演の前に神奈川県民ホールで『沈黙から』塩田千春展最終日。
芸術的衝動の根拠の一つは、「この世ならぬ景色が見たい」ということであろう。
正気の世界の効率では測りようもない芸術のための膨大な蕩尽と浪費の向こうに、かすかにこの世ならぬものが見える。
『シュルレアリスムと美術』 12/9まで
http://www.yaf.or.jp/yma/exhibition/2007/special/03_surrealism/index.html
『沈黙から』塩田千春展 終了
http://www.kanagawa-kenminhall.com/artcomplex/shiota.html
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【左のポケット】その18「一通の手紙」 長島義明
Posted on 11月 18, 2007
今日はAKIさん
突然の手紙に驚かれた事でしょう
先日、初雪が降りましたのよ
それでね、AKIさんのことを思い出してアルバムを開いてみました
なつかしくて、お手紙をかいたの
初めて、AKIさんがこの町に来られた時も初雪が降った日でしたね
覚えておられるかしら、その日の夜に私たちが出会ったのよ
ラップ人の人達のお祭りで、私も民族衣装を着て出かけたわ
町はずれのディスコの会場で
こんなノルウエーの北の端の町に東洋の方が来られるなんて
当時は珍しかったわ、40年も前の事ですものね
絶対にお友達になろうと思って、私の方からダンスに誘ったわ
そして、1週間、私の家にお泊まりになって色んなお話をして下さった
両親もAKIさんのことが好きになって
毎日一緒に食事をしたり、ワインを飲んだり
私の友達の家に遊びに出かけたり、楽しかった
私も若く18才、AKIさんも24才でしたわね ![]()
2度目に来られたのは夏でしたわ
町はずれの丘に登り、島に渡るトナカイの群れが海峡を泳いでいくのを
2人で長い時間座って眺めていましたね
白夜の海は沈まない太陽がいつまでも海面を赤く染めていました
今、思い出すと夢の様
AKIさんがこの町をさり、居なくなってから
どうしてもAKIさんの事が忘れられずパリまで会いにいくのに
どれほど両親を説得したことでしょう
パリで過ごした3か月は私の人生のなかで一番思いで深い日々でした
神様の意地悪か、いっしょになる事はかないませんでしたが
それで良かったと思います
おたがい結婚をして子供が出来、幸せな家庭を築き
こうして歳をとることが出来ました。なんの不満もありません
主人が亡くなり3年の歳月が過ぎ
こんな田舎の町で生涯を過ごすつもりでいましたが
パリに住むアリスの誘いで12月のクリスマス前に
私もパリに住む事に決めました
AKIさんは最近パリに来られる事がありますか
もし、来られる様でしたら、ぜひ、連絡くださいね
そうそう、アリスの子供が9月より学校に行き始めましたよ
私ーーの孫です
私はすっかり歳をとっておばあさんになってしまいましたが
ディスコで踊るぐらいはできますよ
お会いしたいわ
窓の外では、雪がちらちら舞いだしました
それでは風邪など引かれないように、お元気で
ANNA
僕はこの一通の手紙を受け取って
中国の故事にある「邯鄲の夢」(かんたんの夢)を思い出しました。
「邯鄲の夢」の話とは
貧乏な青年が立身出世を望んで邯鄲と云う名の都に出て来て、
そこで一人の仙人に会い栄耀栄華が意のままになると云う枕を借りる。
そして、うたた寝をして、富貴をきわめ、50年あまりの夢を見る。
目覚めてみると炊きかけの粟がまだ煮えないほどの時間であった。
と云う物語です。
僕の場合、栄耀栄華ではないけれど本当に楽しい40年を過ごしました
思い返せば、瞬きするほどに短い時間です
「邯鄲の夢」では50年とあるので、後10年は楽しい夢を
見させてもらいましょうか。
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【悪魔の使いに誘われて】(その5、最終回) 長島義明
Posted on 11月 15, 2007
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暗い夜道で幾度も転けそうになりながら、やっと家にたどり着いた。
薄暗い部屋に油の灯明が黄色く輝いている。誰か灯をつけてくれたのだろう。
「お帰り」
だれも居ないはずの部屋、隅の方で少年の声がした。
驚き、隅を見ると少年が座っていた。
「君はーーー、君は無事だったのか、崖から飛び降りたのは君ではなかったのか」
少年の前に座り彼の顔をまじまじと見た。
「赤いマントを羽織り、確かに飛びましたよ」
「あれは僕の役目なのです、赤ん坊を抱いた女性が飛ぶための先導役でした」
「そうだ、赤ん坊を抱いた女性はどうした、彼女も助かっているのか」
「いいえ、あの女性は赤ん坊と崖から飛び、谷底に落ちて行きました」
「わけがわからない。いったいどうなっているんだ。それに、あの恐ろしい儀式はなんの為の儀式なんだ。参列者はどうして女性ばかりなんだ。わからないことばかりだ。教えてくれ」
「お話しましょう。その前にお腹がすいたでしょう。すこし食べませんか」
そう云えば、昼に少し食事をしてから何も食べていない。少年に云われ、急に空腹を感じた、喉も乾いている。
少年が差し出した木の皿にはコブシほどの固まりが5個乗っていた。それに蒸したアワの入ったお椀。汁が入ったお椀。
2人でそれを食べた。黒っぽい固まりは肉を焼いたものだった。
「何の肉?」
「お供え物の肉ーーー、鳥、うさぎ、やぎ、ーーーー、」
僕はその肉を食べ、アワを食べ、汁を飲んだ。何の肉でもいい、まさか人間の肉はないだろう。汁にはジャガイモと薬草のような物が入っている。
食べながら少年は語りだした。
「今日の儀式でいけにえになったのは病にかかり助からなくなった男性です。そして、崖から飛び込んだ女性は彼の奥さんです。奥さんも病にかかっていました。白い布に包まれていたのは彼等の赤ん坊ですでに死んでいました。その赤ん坊も病にかかっていたのです。あの一家は病にかかってから村の外れの家に住む事になりました。それから、5回の満月を迎えました、シャーマンの判断で助からない事がわかりました。男性も奥さんも死がまじかだったのです。
男性はいけにえの道を選びました。村の人に自分たちの病が移らないようにする為です。この村では昔から助からない病にかかれば、時期をみて儀式を行います。死者が出た時も同じです。別のチベット族の中には鳥葬を行うところもありますが、この村では火葬をするのです。そして、崖の下の谷に葬ります。僕は彼女たちを導く為、赤いマントに火をうっし、崖から飛びましたが、落ちるのは火のついたマントだけです。崖の端に繋がれたロープに足をかけ、飛んだ後、崖の下5メートルの処にある道をつたって村に帰ってくるのです。それが僕の役目、(悪魔の使い)です。おわかりになりましたか」 少年は一気に話終えると水をゴクリと飲みほし、笑顔をつくった。
それにしても変わった風習だ。
「儀式はまだ終わりません、月が天中に上がる頃、お寺の祭壇で面白いものが見れますよ。行かれますか」
まだ、なにか行われるのか。食事も食べたので疲れもなくなっていた。
ぜひ、それを見たいと少年につげた。
「まだまだ時間があります、それまでこれを飲んでゆっくりして下さい」
少年が差し出す木の筒からお酒のような飲み物を椀に受け、ゆっくりと飲んでみた。プンと匂いのある甘い液体は醗酵していて、少しお酒のようだった。なかなかいける。ヤギのヨーグルトにアワを入れ、醗酵させた物に山に自生する青いケシの実の汁を混ぜた物だそうだ。いっぱいの椀に入れたその飲み物が無くなる頃、僕はすっかりいい気分になっていた。灯明の灯がずいぶん明るさを増し、暗いはずの部屋が輝いて見える、自分の体も軽く、浮き上がる気分だ。少年の顔が揺れてたのしい。
「さあ、行きましょう」
僕たちは暗い道をお寺に向かった。
祭壇の上で4、5人の人が跳ねている。その回りをヤギの毛皮をかぶった人達が座り、なにやら歌を歌っている。ずいぶん楽しそうだ。
飛び跳ねた人はしばらく空中に止まり両手を広げ舞、落ちて来る。
笑いながら、僕も少年もそれを観て楽しんだ。
月は天中に青く輝いている。
それから、何が起こり、いつ家に帰ったのか、まるきり記憶がない。
僕も踊りの輪の中に入り踊った様だがはっきりしない、体が中に浮いて楽しかったようである。
翌朝、お寺に行ってみたが祭壇の上には綱が張られ、その綱に赤や黄色の三角の布がぱたぱたとはためいているだけだった。
寺には子供の坊主をふくめ、参拝者がなかに入って行く。
僕はその村を去る事にした。3日ほど歩けばネパール、カトマンズにたどり着けると聞いたからだ。少年と別れ、ネパール方面に向かう3人の男と連れ立ち僕は村に別れを告げた。遥か遠く、山々の向こうにエベレストが見える、
雲は山の下からわき上がり、流れて行く。
人の死など、この自然にくらべればなんとささやかなことだろう。
「いけにえ」になった男の事も、崖から赤ん坊をだいて飛び降りた女性の事も、自分は「悪魔の使い」だと云った少年の事も、宙に浮かんで舞っていた人の事も、だんだん記憶から薄れて行く。
雪をいただく山の嶺峰をながめながら、次に行く村ではどんな出会いがあるのだろうと思いをふくらませていた。 終
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【悪魔の使いに誘われて】(その4) 長島義明
Posted on 11月 14, 2007
お寺を出ると少年は少し用事があると云ってどこかに行ってしまった。一人になった僕は村中を歩いた、と云ってもわずか30件ほどの家がある小さな村である。坂道の両側に石積みの家が列んでいる。すべての家の玄関は閉じられていて、人の声は聞こえない。時々、ヤギの鳴き声とニワトリの鳴き声が聞こえるだけである。3件の家の玄関に卍を書いた紙が張ってあった。なにを意味するのか。4時頃であったろうか、銅鑼の叩く音が聞こえて来た。ヤギの首に紐でつなぎ、裏山にむかう老婆に出会う。ニワトリを抱いた女性が3人、広場に向かう。銅鑼の音に誘われて、僕も裏山に登っていった。丘の隅に丸太で作られた干場があった、両足をくくられたヤギがぶら下げられ、喉をナイフで切られ、血がポタポタと下に置かれた桶に落ちていた。さきほど、女が持って来たニワトリも足を縛り、吊るされ、喉を切られていた。滴る血はやはり下に置かれた桶に集められている。
崖に近い、広場の東に祭壇が作られ、その先に木を井型に護摩壇が組まれている。
やがて笛の音と読経に先導された女性たちが板の上に乗せた「いけにえ」を担いできた。朝、見た時と違い白い布に包まれて、鎖は外されていた。
「いけにえ」の胸のあたりは出血の後だろうか、どす黒く染まっていた。ヤギの革袋がふくらんで置かれている。その先端にするどく斜めに切断された鉄の管がついていた。おそらくその管を「いけにえ」の男の胸に突き刺し、血を抜いたのだろう。「いけにえ」はピクとも動かず死んでいる様だ。
30才を過ぎて、病に侵され、満月が5回巡ってきても回復しない場合、男は自分から進んで「いけにえ」になる。家族が病魔に侵されないように、村人に病が伝染しないように。その間、村の男たちは村から出るか、家の中にいて外に出れないのです。
広場には続々と人が集まってくる。これだけ人が居たのかと思うほどの数だ、それも女性ばかり、男はいない。全ての女性が村で出会った女性のようにヤギの毛皮をまとい、蛇のような長いトルコ石を散りばめた飾りを頭上に乗せて読経しながらやってくる。
読経の流れる中、「いけにえ」は護摩壇の上に乗せられ、ヤギ、ニワトリもそばに置かれる。粟、稗がその上にバラまかれ、ヤクのミルクもかけられる。花と野草もそえられる。最後に香水がふりまかれ、老婆が現れ、両の手を天に上げ、なにやら呪文を唱える。
大きい椀が参列者に渡され、中の液体を回し飲みにする。僕にもその椀が回って来た。
白く濁った液体は生臭く酸っぱく、苦い味がして、動物の血が混じっていた。後で聞いた話では青いケシの実の汁も含んでいると云う。
椀が参列者に行き渡ったところで、松明を盛った6人の老婆が護摩壇を囲む。
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再び、呪文が唱えられ、読経が流れる中、松明が護摩壇に投げ入れられていく。
松明の火は「いけにえ」を包んだ布を燃やし、ヤギの毛を焼く。護摩壇の木に炎は広がり、毛を焼く臭い匂いがたまらなく不愉快にさせる。
燃え広がる炎の中、突然「いけにえ」の体は火をまとい半身を起こした。
リンが解け落ちる青い炎が「いけにえ」の体から飛び散る。
長い棒を持った老婆が「いけにえ」を棒で突つく。「いけにえ」が倒れ炎が上がる。
僕は少年にカメラを渡していたが、内緒でポケットカメラを忍ばせていた。そのカメラを誰にも気ずかれない様にとりだし、シャッターを一枚切った。
炎には何が写っているのか。
僕の頭のなかで何か変化が起こっている。胸の動悸が激しく、頭が朦朧としてくる。
読経の響きに酔い、炎の激しさに酔い、、椀に入った怪しい液体に酔った。
護摩壇が激しく燃え、儀式が終焉を迎える時、6人の老婆がふたたび現れ、燃えつきる護摩壇と「いけにえ」、供物を、長い棒で後ろの崖から谷底に撞き落としていった。炎は「いけにえ」やヤギの体、護摩壇の木にまとわりつきながら、谷底に落ちて行く。
その時、不意に、赤いマントを身にまとった少年が祭壇の前に現れ、残り火に中に入って行った。あっ、と云う間もなく、少年はマントを広げ、崖から空を飛んだ。下は何十メートルもある谷底だ。残り火は激しく燃えあがり、読経の声は大きくなる。
白い布に包まれた子供を抱き、女性がひとり立ち上がる。ふらふらと祭壇にちかずき、呪文を唱えると彼女もまた空をとんだ。
僕はその光景を見ながら身動きひとつ出来なかった。
あまりにふいで、異様な恐ろしさを目の当たりにして、興奮していた。
しばらくして、体中に鳥肌が立ち、身震いが止らない。
崖の向こう側に青い火が人のかたちをして立ち上がり、ゆれて消えて行く。
空はすっかり暗くなり、満月が雲の間を見え隠れする。
なんだかすごく疲れている。
僕は疲れた足を引きずりながら、とぼとぼと昨夜泊まった家に向かった。
ーーーーー続く。
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【悪魔の使いに誘われて】(その3) 長島義明
Posted on 11月 13, 2007
「いけにえ?」
「そうです。生け贄に選ばれた人です」
「この村ではなにか重大な事がある時は生け贄を神、仏に捧げます」
「まさか、その生け贄になった人を殺すのじゃないだろうね」
「殺しはしませんが、生け贄になる人の儀式の手助けはします」
「儀式は朝に訪れた裏山の丘、ヒマラヤの山々が見える所で今日の夕方行われます。それまで時間があります、お寺に行ってみませんか」
僕は生け贄の事が気になったが、少年に促されお寺にむかった。
寺は村の外れにひときわ大きく建っていた。ずいぶん古い建物だ。
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寺の正面入り口の前で一人の女性が正装して、地面にひれ伏し、祈っていた。
女性が祈る言葉はお経のような、呪文のような、低く、それで力強い、地の底から聞こえて来るような声だった。女性の声と云うより、動物の声に近い。時々体を起こし、またひれ伏し、休む事無く呪文をとなえ続けている。それは生け贄の儀式が行われる夕方まで続くと云う。
寺の中は薄暗く、油を燃やした灯明がひとつジリジリと音をたてていて、人の気配はない。正面の奥にいつの時代に作られたものか、古い千手観音の像が安置されている。3Mほどもある立派なものだ。こんな山奥にあるのが信じられない。普段は白い布で覆われているがその日は特別な日なので布が外されていたのです。石作りの寺の天井には太い木の梁が何本も黒光りに光っている。この寺がいかに重要なものか、それを見ただけでもわかる。
それにしてもこの寺のことはどの案内書にも、どの文献にも紹介されていない。どうしてだろう。いや、この村のことさえ紹介されていない。地図に名前さえ乗っていないのです。
千手観音をみて、寺の外に出ようと振り向いた時、右側の壁に曼陀羅の絵が描かれているのに気随いた。
その曼陀羅は変わっていて、普通真ん中に居るはずの大日如来がない、変わりに宇宙の真理を解いた絵が描かれていた。
その図の円の一番外側に炎が描かれている。「火」
拝火教、別名、ゾロアスタ教。古代ペルシャで起こった「火」の信仰宗教。
ペルシャからインド、アフガニスタン、トルキスタン、中国西域地方に広まり、中央アジアを席巻した宗教。当時、ペストやコレラなど伝染病が流行するとなす術がなかった。村全員の人が伝染病にかかり生き絶える。大きい都でもそうだ。それを食い止めるには「火」の力を借りるしかなかったのです。拝火教はそんな地方に広がって行った。仏教が起こり拝火教が衰退して行く過程で、拝火教の儀式が仏教に取り入れられた。今でも日本の密教で行われている護摩を焚く儀式はそのなごりだ。と僕は思います。
全て、「火」の力で消滅してしまう。奈良、平安時代に度々遷都が行われた
理由のひとつにそんなこともあったのではとーーーーー。
話がそれてしまいました。
この寺はそんな拝火教が色濃く残る仏教寺ではないのか。そんなおもいを抱きました。
少年はずーと携えていた細長い包みの紐をほどき、それを仏前に供えた。
中から出て来たのは先が二股になった剣です。ラダックで会った貴人の女性から託された物だ。刃は鋭く光り、その形はおどろおどろして初めてみる。儀式用の剣だ。
どうしても10才か12才程にしか見えない少年に、僕は疑問を感じ、その時年齢をたずねた。
「本当のところ君の年齢はいくつなんだい」
悪魔の使いだ、と名乗る少年はこたえる。
「21才」
うそだろう、そんなはずはない、どう見ても12才より上には見えない。
「あなたが信じようと信じまいと自由です。でも僕は21才なのです。
母はこの村の出身でヒンズー教徒のインド人の男に犯されました。そして僕が生まれ、母は亡くなりました。それ以来、僕は悪魔の使いとしてこの村で育てられたのです」
少年の話し振りは12才の言葉ではなかった。
この村では30才になると、男は誰でも生け贄になる権利を持つと云う。
それは名誉であり、恐ろしい事ではない。らしい。
夕方の儀式は何年も前から続いている儀式で、そこで空を飛ぶ人を見る事が出来る。ただし、絶対に写真を撮らない事。それだけは守らないといけない。カメラも僕にあずける事。それが約束だった。
信仰にはさまざまな秘密がある。僕は約束は守ると告げ、夕方の儀式を待った。 ーーーーー続く。
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絵描き彫刻家 掛井五郎 MOENO
Posted on 11月 12, 2007
皆さんは、『掛井五郎』という芸術家をご存知だろうか。
彼の芸術家としての肩書きは”彫刻家”だが
彼の作品には、油絵や版画も多く存在する。
そんな彼の個展が、11月7日から南青山にあるギャラリーワッツで開かれている。
生活の中にアートを取り入れることをコンセプトにしているこのギャラリーには
思わず部屋に置きたくなる掛井氏の作品が、たくさん展示されている。
彼は現在77歳。
作品を見て、誰が彼の年齢を想像できようか。
本人自身は、過去に資生堂のCMやギャルソン、ルイ・ヴィトンの広告
雑誌high fashionなどに登場しているので
見かけたことがある人もいるだろう。
この場で作品についてうんぬん語るよりも、是非一度見ていただきたい。
『掛井五郎』という名をいまここで初めて耳にしたというそこのあなた
名前は知ってるけど作品はみたことないというそこのあなた
南青山へレッツゴー
—『掛井五郎』 個展情報—–
●掛井五郎展 『息吹-ibuki-』
2007年11月7日~11月16日(会期中無休)
ギャラリーワッツ http://www.wa2.jp/
営業時間12:00~19:00
●美術館20周年記念展~世界の美術家たち10代の作品展~
2007年11月17日~12月18日(会期中無休)
O美術館(品川区)
http://www.shinagawa-culture.or.jp/o_art/top/index2.html
開館時間10:00~18:30
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【Esquisse ou Croquis …?】~『野点(のだて)』~Kylin
Posted on 11月 10, 2007
街中を一風変わったリヤカーが2台進んで行く。
「焼立器飲茶美味窯付移動車」と呼ぶのだそう。
そのリヤカーを引く人間もまた、一風変わっていて、
やたらと長身できらびやかな衣装で、顔の化粧ときたら、
まるでピエロ。
頭のてっぺんに、なぜか”茶せん”が載っている…。
この様を人は”ドラァグ・クイーン”と云うんだとか。
『野点(のだて)』は、きむらとしろう”じんじん”さんが、
日本、いや世界各地で行っている、野外お茶パフォーマンス。
”こんな場所で…”と思うような処で、リヤカー2台を駐め、
道行く人々に
「お茶でも飲んで行って~!」
と勧める。
素焼きのお茶椀を数十個積んであり、希望者には絵付け体験も
出来る。
今まで「陶芸」など全然縁の無かった人も、スタッフに促されながら、
嬉々として筆を運んでいる。
で、リヤカーの窯に入れ、800℃の楽焼で仕上げる。
窯には1度に4つのお茶椀しか入らないから、一旦絵付けをしたら、
のんびり待つ…。
窯からお茶椀を取出し、スタッフがバケツの水で煤だらけな作品を
洗う。思わぬ鮮やかな色に感嘆の声が上がる。
その出来立ての「マイお茶椀」で野外でゆっくりお薄を頂く…。
これが『野点』の醍醐味なのだな。
”じんじん”さんは、とても”フトコロ”の広い人で、いろいろな事に
最大限の「自由」を認める人。
・お茶椀の絵だって題材自由
・どんな人だって、会話に取り込んじゃう。
昔は、女性に間違えられて、酔っ払いのおっちゃんに、
「ここで服を脱げ!」
って迫られたとか…。
・スタッフ業務の時間も本人の自由
でも、”ちょっとでも長く居たい”と思わせるところが人徳。
今回、この『野点』のスタッフをやります。
ちなみに、ワタシのシフトは、
・2007/11/11(SUN): 「福寿荘」前駐車場
・2007/11/17(SAT): 「スパワールド」大階段下
です。
場所等は、下記ブログを参照下さい。
よろしゅうお越し…。
→→→** Links for ** ・・・
■『野点ブログ』(2007秋 大阪開催~Breaker Project~)サイト
http://breakerproject.net/publicart/nodate/
※2004年に開催された時の様子;
http://www.log-osaka.jp/projects/nodate/past.html
■「きむらとしろう”じんじん”さん インタビュー」:
「log」~osaka web magazine~
http://www.log-osaka.jp/article/index.html?aid=55
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【悪魔の使いに誘われて】(その2) 長島義明
Posted on 11月 10, 2007
翌朝、夜明け前に少年に誘われて村の裏の丘に登った。
遥か彼方、東の方に雪を被った山々が見える。その姿は清々しく、神々の峰と呼ぶに相応しい光景であった。
「おじさん、あの一番高い山、知っているかい」少年が指差す遥か彼方に一段と高い峰峰が白く輝いていた。
「エベレスト」少年が云った言葉に僕は、はっ、とした。
世界最高峰の山、エベレスト。
日が昇るまでその場に佇み、山々が明るく変化する姿を眺めていた。
家に帰り、昨夜と同じように少年は何処からか朝食を運んできた。
頭蓋骨の内側に銀の板を貼付けた椀、その中に蒸した粟(あわ)に酸っぱい乳白色の汁がかかっている。ヤギかヤクの乳だろう。すでに醗酵して酸味がきつい。しかし、まずくは無い。
朝食の後、僕たちは村のお寺を訪ねた。その時初めて村人に遭遇した。
ヤギの毛皮を身にまとい、例の青いトルコ石がついている飾りを頭に被っている。象の耳のような身なりもラダックで会った女性と同じである。
寺の前の広場に祭壇のような5M四方の四角い高台があり、村人が集まっている。何か祭壇に置かれている様だ。僕は祭壇で異様な物を見た。
それは明らかに人間とわかる。布に包まれ、鎖でしばられていた。
これはいったいなんなんだ。おまけにカギまでかけてある。
それを取り囲む村人が唱える呪文のような声。
時々、袋の中で動く事を見ると、中に居る人はまだ生きている様だ。
僕は少年に訪ねた。
「これは、なんなんだ?」英語を話すのは少年しかいない。
少年の表情が気味悪く変化する。
「いけにえーーー」「仏への生け贄ですーーー」
—続く。
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批評を考える 村松恒平
Posted on 11月 9, 2007
「美術の世界」というものがあるとすると、僕はその隅っこのほう
その隅っこのアウトサイダーから眺めていても、美術の世界は狭い
「知り合いの知り合いの知り合い」くらいまでいくと
こういうところで、公正な批評をするということはたいへん難しい
映評や書評であれば、批評者は作者と会うことは稀である
なにしろ個展にでかければ本人がいるのである。
本人がいれば、挨拶もするのである。そして、初対面でもすぐに共
そうすると、批評者は自分が「感じたこと」をベースに書かなくな
初期の作品から現在に至るまでの変遷を自分は見続けたということ
それが「感じたこと」の代用になる。
こう書くと、激しく否定しているようだが、そうでもない。
むしろ、それでいいのではないの、と思うようになったから
「感じたこと」で批評を書け、というのは、プロレスに毎度セメン
美術批評なんて、どうせ関係者しか読まないのである
それにはそれなりの機能があるだろう。
みんなツルんでいるのである。
芸術や表現はもともと、はみ出し者の領域であると僕は思っている
それをもっと、歴史的に容認された基準が積み重ねられているもの
はみ出し者もまたムラを作る。
僕はそのムラからもまたはみ出していたい。
昔の人は言いました。
「連帯を求めて孤立を恐れず」
表現者なんて、どうせ孤独なんだからさ。
楽しくやろうぜ。
【写真は村松恒平『人々(輪郭を失っていく)』部分】
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