イケイナイコト? “村松恒平コレクションと小品展”
Posted on 10月 28, 2007
10月29日より、一週間。
僕が自分のコレクションを公開する。
「普通の人だって、コレクションを公開していいのではないの?」
という問いかけだ。
コレクターだって美術の参加者だからね。
コレクターは、もっとみんなギャラリーを借りて自分のコレクションを見せびらかすべきだ。
そうしたら、よいコレクションかどうかよくわかる。
そして、人に見せるという目的があれば、美術品を買う人も増えるだろう。
僕はいわゆるコレクターではない。
ただ気に入ったもので、手が届くものは買うようにしている。
何百円とか何千円という小さな買い物が多いけれど。
それから、編集者時代に友人からもらったものなどもあって。
そういうのを見せる。
しかも、自分の作品も見せたい。
いろいろありすぎて、ギャラリーにおさまるかどうか心配なのです。
そういう企画なので、広くはないギャラリーですが、みっちりと展示してあるはず。
これを書いている時点で、「明日から」なのです。
どんな展示になるのか。
お近くの方はぜひおでかけください。
川口 masuiiギャラリー
http://www.masuii.co.jp/rdrg-riyoukiyaku.htm
Filed Under 展覧会 | Leave a Comment
【思考する目】30「ゲイ、ホモ、レズ」 長島義明
Posted on 10月 24, 2007
せっかく男と女がいると云うのに同性どうしで愛し合い、今では結婚さえも認められるようになった。
アメリカの話だと思っていたが世界の流れがそうなっているようだ。
マッチョな男どうし抱き合いキッスをする事を想像するだけでも笑ってしまうが当人同士は真剣に愛している。
もともと男は男子校や軍隊生活でそうした経験をするそうだが、今では少し異なり、女性より人間らしいやさしさに魅せられ、ホモやゲイになる人が多いと聞く。
![]()
![]()
![]()
他方、レズの女性はこれも女学生時代に先輩、同級生に対する憧れからレズになって行くようだ。そうした女性は大人になってもレズを求め、男より同性愛のほうが楽しいSEXができると云う。
少子化問題で人口減少しているのも、こうしたレズ、ホモが増えているのもひとつの原因かも知れない。
日本の社会ではホモの人はテレビの影響か表面に現れるが女性のレズはほとんど表面に出て来ない。かなりの数の女性がレズであるはずなのだが、 内緒にして楽しんでいるらしい。
レズ同士の女性が別れる時、嫉妬心が強く、時には刃傷沙汰になったり、かなりのいじわるをされて大変だ、と聞く。
ホモにしろ、レズにしろ、適当に楽しむだけにするのがいいと思うが、いかがかな。
こんなことを言うと、両方から攻撃されるようだからやめておきます。
ゲイ、ホモ、レズの皆さん、お幸せに。
写真はニューヨーク五番街のゲイパレードとレズパレードです。
写真、文ー長島義明
【警告】当ブログ内に掲載されているすべての文章の無断転載、転用を禁止します。すべての写真,文章は日本の著作権法及び国際条約によって保護を受けています。 Copyright 2007 NAGASHIMA YOSHIAKI All rights reserved. Never reproduce or replicate without written permission
Filed Under 【思考する目】 | Leave a Comment
【Esquisse ou Croquis …?】~『とんぼりワッショイ!』~Kylin
Posted on 10月 20, 2007
大阪市内を南北に貫くイチョウ並木の御堂筋。
これと平行に心斎橋筋が通っている。長堀通から南に辿って行くと、
周防町通を跨ぎ、やがてアーケードが一瞬途切れて戎橋が現れる。
右手に掛かる有名な「グリコの看板」の反対側を見渡すと、
ディスカウント・ストア「ドン・キ・ホーテ」の楕円型観覧車が
目に入ると共に、前を流れる道頓堀川には、親水歩道があるのに
気がつく筈だ。
有限責任法人「とんぼりリバーウオークの会」が管理する歩道に、
春と秋、年に2回だけアート系のイベントがかかる。
親水歩道が出来た当初、道頓堀商店街の人々は、
”何か人を集める方策は無いか…”
と首を捻った。
元々、道頓堀川では、歌舞伎役者や落語家の「顔見世」が行われ
たりはしていた。
自分達でイベントをしようとしたが、アイデアに限界がある。
そこで、コネを頼って、ある若い集団の存在を知った。
名を「irotori”彩”」と云う。
彼らはイベントを企画するにあたって「アート」に目を付けた。
・アンテナ感度の高い若者を呼ぶには、指向性イベントを企画
するしかない。
・たまたま、彼らの周りには、”アーチストの卵”と呼ぶべき
若い人間が多く居て、作品のストックを発表する場を模索して
いた。
・”学園祭ノリ”で、イベントを自分達で企画していく事に、
味をしめてしまった
前作でも述べたように、「広報担当」として
『とんぼりワッショイ!』
にも関わることになった。
ここの集団でも、私が飛びぬけて年上になってしまった。
子供たちの文化祭に、P.T.A.が1人混じってる感じ…。
最初は遠慮がちに話していた彼ら・彼女らではあるが、今では
一丁前にタメ口なんか利いて来る。私自身は、気にならないから、
良いのである。
「輪音」でのスタッフ会議では、若いメンバーが分担に従って
打合わせを進めていくのだが、正直、歯がゆいこともある。
けれど、くちばしを突っ込んでしまってなダメなのだ。
黙って様子見をして、行き詰まったり請われたら初めて口を開く。
その時も「結論」は言わない。選択肢を示すだけ。
決めるのは彼ら・彼女らなのだ。
以前、スタッフになってみて、
”3つのイベントの運営面での違いが見えてきた”
と書いた。
○『とんぼり』は”線”
○『とんぼり』は”ノリ”
○『とんぼり』は”若さ”
自分が段々この感覚に近くなってきている気がする…。
イベント当日は、ひたすら楽しもう。
ひょっとしたら、フェイス・ペインティングをしてるかも知れない。
扮装をしているかも知れない。
もし、大阪に立寄る機会があったなら、
”背の低いキリン”
を探してみて欲しい…。
→→→** Links for ** ・・・
■『とんぼりワッショイ!』(2007.11.03 開催)サイト
http://www.tonbori.info/
■『irotori”彩”』サイト
http://www.irotori.co.jp/
Filed Under 【Esquisse ou Croquis …?】 | Leave a Comment
【左のポケット】その16「笑うネコ」 長島義明
Posted on 10月 18, 2007
僕はシリアスな写真を撮るがユーモア写真も好きです。
ほとんど、旅先で偶然出会う人の写真ですがパリでは「笑うネコ」に出会った。
モンマルトルの丘に住む、画家が飼っているネコです。
普段は普通のネコらしい顔なのに、チーズを見せるとなんとも云えない顔で笑う。
あまりにその笑顔が楽しいのでポスターを作ってしまった。
ユーモア写真シリーズのポスターを今後、続けて作るつもりだが、どうだろうか。
Filed Under 【左のポケット】 | Leave a Comment
【左のポケット】その15「ネコ好き」 長島義明
Posted on 10月 17, 2007
ネコ好きには女性が多い。
どうしてだろうか。まず可愛い、散歩の必要がない、家の中で飼える、餌を与えておけばいい、
めんどくさく無い、言いなりに出来る、蹴飛ばしても好物をやると寄って来る。
これがネコを飼う理由だと、あるネコ好きの女性が云っていた。
ちなみにその女性は彼氏が出来ても、すぐ離れていくそうだ。
どうもそのネコ好きの女性は自己中心主義であるようだ
Filed Under 【左のポケット】 | Leave a Comment
『裸体と果実』 始まる!
Posted on 10月 10, 2007
いよいよ亀有ギャラリーバルコにおいて、10月12日より【DRAGON ART】第一回展『裸体と果実』始まります。
10人のアーティストは全員個性派です。どんな展示になるか、これを書いている時点において、僕にもわかっていませんが、薄味な展示にならないことだけはわかっています。
お酒ならロック、コーヒーならエスプレッソのような濃~厚な作品群をお見せできるでしょう。
写真は案内ハガキ。これでは、コワすぎるので、本当のハガキは色を変えました。
これは秘密バージョンです。
亀有は都心から見れば、やや遠いですが、亀有からみれば、遠くありません。
両津勘吉さんの銅像が二つあり、記念写真を撮ることができます。
またお好み焼きの名所でもあります。
ぜひ皆様、お越しください。
10月12日(金)~10月23日(火) 12時~19時(最終日17時まで)
初日18時よりオープニングパーティ。10月17日(水)休廊
ギャラリーバルコ
http://homepage3.nifty.com/kameari-barco/chizu.html
Filed Under 展覧会 | Leave a Comment
坂本龍一+高谷史郎「LIFE-fluid,invisible,inaudible」 construction site
Posted on 10月 9, 2007
坂本龍一+高谷史郎「LIFE-fluid,invisible,inaudible」
「暗い空間には、1.2m四方、30cm高の水槽が3x3個グリッド上に吊られています。水槽内部では人工的な霧が発生し透過と不当化をつなぐかのように流動的なパターンがたえず産み出されていきます。水槽の上から放たれる映像は水溶きの織り成すパターンを通過することで絶えず融解され、抽象と具象の境界をたゆたい続けます。音や映像は流動的な霧やコンピュータのランダムネスにその展開を委ねることでリニアで確定的な時間や空間性から逃れ、ダイナミックに変動する現象として出現し始めます。訪れた人々は、空間内を自由8に動き、水槽の下にたたずむことで、可視と不可視、聞き取れるものと聞き取れないものの間に潜む生きた変容の場に立ち会うことになるでしょう。」
(坂本龍一+高谷史郎「LIFE-fluid,invisible,inaudible」チラシより)
9/15よりICCで行われている坂本龍一と高谷史郎の展覧会「LIFE-fluid,invisible,inaudible」に行ってきた。
展覧会の内容は、チラシに書かれていた上記引用の通り。
映像とそれを投影するための水槽や霧を発生させる装置などを担当した高谷史郎氏と、3×3台の水槽にそれぞれ二台づつ取り付けられた18台のスピーカーから出力される音楽(音?)を担当した坂本龍一氏とのコラボレーションによるインスタレーション作品である。
「LIFE]というタイトルが示すように、この展覧会は、坂本龍一が20世紀を総括するという構想の下に1999年に行ったオペラ「LIFE」の続編に位置づけられている。
オペラ「LIFE」では、オペラという表現形式の特性上、一直線に並べられた時間軸に沿って映像と音楽が上演された。一方、今回のインスタレーション作品「LIFE」では、オペラ「LIFE」で使った映像と音源がコンピュータのハードディスク上に記録され、1.2m角のアクリルボックスに人工的に作り出した霧と水の上に描かれる波紋に向かってランダムに出力されている。そのことによって、非同期な音と映像そして霧や波紋が重なり合い、鑑賞者が自由に遊歩することで体験される非線形な空間が作り出されている。
「LIFE」のテーマが「共生」にあるとすれば、一つの時間を強制するオペラよりも、鑑賞者が自由に非線形の時間を体験しうる今回のインスタレーションのほうが、より洗練された表現になっている、ということである。
ただ、この作品から未来への可能性を感じることはできたのは、そんな壮大なストーリーとは別のささやか部分だ。
そもそも非同期の音やビデオ映像を用いて非線形な空間を作り出すというアイデアは、ジョン・ケージの「Rain Forest」(1968)やナム・ジュン・パイクのビデオインスタレーションにおいて、すでに示されているものである。そのため、今回の作品には、そのアイデアを、ラップトップコンピューターや液晶プロジェクターといった今我々が手軽に利用できる最新の技術を用いて再構成してみせた以上の新しさはない。
もちろん、ポストモダンの音楽家として、クラシックから民族音楽まで様々な音楽形式を巧みに引用して作品をつくってきた坂本龍一にとって、ケージやパイクのコンセプトの引用は、まさに彼の意図するところであり、このインスタレーションがそれらの焼き直しだという批判は的を得たものにはなりえない。
とはいえ、現代美術の巨匠たちが提示したこの手法が、”メディアアート”の常套手段としてすでに大量のコピーが作り出されている状況において、さらに新しいコピーを一つ加えることに積極的な意味を見出すことはできない。
むしろ、可能性を感じられるのは、現代美術から引用されたありふれたシステムではなく、このインスタレーションが持っていた新しいイメージにある。
今世紀、環境問題が深刻になることは間違いないが、それに対応した新しい表現は、未だに貧しいものがある。
20世紀の建築を例にとれば、ミース・ファン・デル・ローエの「バルセロナパヴィリオン」に代表されるように、産業革命や科学技術という時代のパラダイムに対する適確な美的表現が与えられた。
一方、現在行われている環境問題へのアプローチは、ハイテクで環境問題を解決しようとするモダニズム建築にソーラーパネルを載せるサスティナブルデザインか、「自然と共生していた」とされる過去の生活を、自然素材などを利用することでシミュレーションするノスタルジックな山小屋か、という二者択一になっている。
そんな状況に、このインスタレーションは、一石を投じているように思える。
今回の作品が「LIFE」というテーマと伴に示しているのは、液晶プロジェクターやパソコンなどの最新のデジタル技術をつかっただけのメディアアートでもなく、森や湖、田園風景へのノスタルジーでもない。
「自然」を、ノスタルジックに捉えるのではなく、霧や水の波紋などのプリミティブな自然の中から抽象的なパターンを取り出すことによって、液晶プロジェクターやデジタルノイズを多用した音楽などの最新のデジタル技術とを高度に融合させている。
最近の坂本龍一は、Carstein NicolaiやFenneszといった音楽家とのコラボレーションで、プログラミングされたデジタルノイズにアコースティック・ピアノを重ねた作品を作っているが、デジタル技術(液晶プロジェクター、デジタルノイズ)+抽象性の高い自然(霧や波紋、アコースティック・ピアノ)融合という点で、このインスタレーション「LIFE」との共通点を見出すこともできるように思う。
つまり、ハイテクで省エネシステムを作り出すのでも、ノスタルジックに過去の田舎暮らしに回帰するのでもなく、21世紀のパラダイムとしての環境問題に対応した表現として、デジタル技術を生かしながらプリミティブな自然と共生するという別の方向を切り拓いている。
このインスタレーション「LIFE」に21世紀の展望を見出させるとすれば、この作品のもっていたそんなイメージにある。
Filed Under Review, 展覧会 | Leave a Comment
[いけばな/鋏の音 5] 『花でおもてなし』 紫苑
Posted on 10月 8, 2007
![]()
先日、親しい友達をお招きした。
わたしのもてなし料理は得意の餃子だ。
初めて我が家を訪れてくれる友達に餃子ではちょっと色気がないけれど、せめて花をいけるということで、色を添えた。
作品 A @リビング
花材:百合(ピンク・白)ユリ科
孔雀草(キク科)
菊(キク科)
利休草(ヒヤクブ科)
花器:ガラス製花瓶
作品 B @玄関
花材:百合(ピンク)ユリ科
黄菊(キク科)
姫ひまわり(キク科)
花器:水差し(百円ショップ)
お客様をお迎えする時の、ときめきに似た気持ちの高鳴りが好き。
一番気になるところは、住民は気づかないその家だけが持つ独特の臭いだ。
わたしはそれを、花の匂いで消したいといつも思う。
だから、普段から匂いの強い百合を選んでしまうけれど、この花は好きな人と嫌いの人に別れてしまう。
嫌いな人には、「頭痛がするから外に出して」と眉をひそめられる。
余談であるけれど、昨年ちょっと入院することがあった時、見舞いの花が届いた。
わたしが最も好きなカサブランカを交えた百合一種だった。
それは強烈で、病棟中に充満するくらいの自己主張をした。
嬉しいのだけれど、やはり病院は顰蹙ものかなーとびくびくしていると、同室の人たちも大好きとのことで、ほっとしたことがあった。
ところで、おまねきした友達も百合が大好きだった。
わたしは迷わず百合を選び、花屋さんの店先でひとまず頭の中でいけあげていき、他の花材を選んだ。
一度は、鋏をはじめ水盤やおつぼ、花器のすべてを捨ててしまったので、悲しいかな手元には何もない。
でも、手始めは身の回りの雑器を使った、癒されるいけばなを目指したい。
そして、気持ちよくお迎えできて、そのお客様がまた訪れたいと思ってくれるとしたら、どんなに嬉しいことだろう。
そんなささやかな思いをこめて花をいける時が、今のわたしの最高のひとときなのである。
Filed Under 【いけばな/鋏の音】 | Leave a Comment
【Esquisse ou Croquis …?】~『からほりまちアート』~
Posted on 10月 3, 2007
大阪市内に、第二次世界大戦(太平洋戦争)の際、戦災を免れた
地域がいくつか存在する。
そのうちのひとつに、大阪市中央部にある「空堀」がある。
「空堀」は、豊臣秀吉が大阪城を守るために築いた「南惣構堀」
が、水を入れない”空の堀”だったことに由来している。
地域にある居酒屋の地階の側壁は、この遺構だ。
階高の低い木造の家屋は、昭和初期の風情を醸し出す。
年配者にはノスタルジーを、若年層にはレトロモダンな感覚を呼び、
”癒し”の空間を形成している。
若いアーチストたちは、自らの手で古い町家に手を入れ、アトリエ、
ギャラリー、カフェ、などに転用し集まり始めている…。
街並みは、規模的にも雰囲気的にもヒューマン・スケールで、
心地良く時間さえゆっくり流れているような気さえする。
しかし…。
世情から小学校が廃校になり、デベロッパーによる大規模な開発の
手が延びている。超高層のマンションの影は足元の木造民家から日照
を奪う。人口の増加は狭い路地での渋滞を呼び、老人たちを”交通戦争”
に巻込み始めている。
今回、「広報担当」として『からほりまちアート』に関わることに
なった。イベント自体は今年で7回目。
きっかけは、ひょんな事からである。
・「アトリエ輪音」のスタッフが兼務している。
・女性スタッフが多く、企画やアイデアを出す点では優れている
が、当日の搬入業務やセッティングなどの力仕事がある。
・スタッフの年齢層が、年配者と若年層に二極化していて、
双方を繋ぐ年代のメンバーが居ない。
ワタシは丁度、その年代に当て嵌った。
理由は色々あるにせよ、道頓堀での『とんぼりワッショイ!』、
新世界・飛田での『野点』と、スタッフを兼務することになった。
スタッフになってみて、3つのイベントの運営面での違いが見えて
きた。
○『野点』は”点”、『とんぼり』は”線”、『からほり』は”面”。
○『野点』は”安らぎ”、『とんぼり』は”ノリ”、『からほり』は”落着き”。
○『野点』は”実績”、『とんぼり』は”若さ”、『からほり』は”成熟”。
各イベントスタッフでの、ワタシの立場は”バランスウェイト”。
・みんなが考える企画を見守り、サポートに廻る。
・年長者と若いスタッフの橋渡しをする。
・外部のキーマンに、イベント開催をPRし、二次広報者になって貰う。
「プレス・リリース」を書き終えて、各メディアに流し始めている。
ぼちぼち紙媒体には、記事が載り始めた。
もし、大阪に立寄る機会があったなら、お散歩をしてみて欲しい。
ノスタルジーを感じるのか、レトロモダンな感覚を新鮮に感じるか…、
それはあなた次第です。
→→→** Links for ** ・・・
■『野点』サイト
http://breakerproject.net/publicart/nodate/
■『からほりまちアート』サイト
http://karahori-machi-art.com/
■『とんぼりワッショイ!』サイト
http://www.tonbori.info/
Filed Under 【Esquisse ou Croquis …?】 | Leave a Comment


