[いけばな/鋏の音 4]  『涙のわけ』 紫苑

Posted on 9月 30, 2007

 

すっかり秋になった。
昨日までの真夏日はどこへ行ったの?と言うくらいに、唐突にそれはやって来た。

久しぶりに古巣の流派のHPにアクセスをした。
かつての仲間達はどうしているのだろう。
そんな他愛なく感傷的な気持ちだった。
ついでに、かつての恩師の名前も入力して検索をしてみた。
すると、モニターには懐かしい恩師を囲んだ集合写真が映った。
中央にいらっしゃるのは紛れもなくわたしが教わったH先生だった。
わたしは込み上げてくるものを抑え切れなかった。
それは簡単には説明のつかない涙であった。
単なる懐かしさなのか、その正体は定かではないが、まだお元気で活躍されているということが、たまらなくわたしの胸を打った。
わたしが恩師の元を去って、すでに四半世紀は過ぎたというのに……。

わたしはいけばなが大好きだった。
たとえ何かの理由で中断したとしても、人生の後半にさしかかった時には必ずもう一度いけばなをやりたい、というのがわたしの夢だった。
もしかしたら、子供や孫にそれを伝授できたとしたら、どんなに素敵なことだろうと思ったものだ。
でも、もうとっくにその年齢に達してしまっていることに、ふと笑いが止まらない。
まだまだ、ずっとずっと先のことだと思っていたのに、もうそんな時期は訪れていたのだ。
押入れの奥の方に、大事にしまってあった二級家元脇教授の看板を出して、しばし眺めた。
すっかり飴色に変色した看板には、わたしの雅号が入っている。
この看板に夢や期待を乗せていたことを、しみじみ思い出した。
当時の、わたしの一喜一憂が、見えてきた。
いけばなに心血を注ぐ娘を、背後からじっと応援してくれた両親の気持ちを思い出し、またわたしの涙を誘った。
ずっと続けていたなら、今頃は一級の看板をいただけていただろうに、わたしは途中下車したのだ。
もちろん、そのことは後悔していない。

そういえば昔。
長女がくれたお誕生日カードにはこんなことが書かれていた。
「大きくなったら家をプレゼントするね。母さんがいけばな教室を開けるくらい大きな家だよ」
模型を作って、それにこのカードが添えられていた。
わたしは、子供達に夢の話をしていたのだった。

そろそろ、一からまた始めてみようかな。
時には色恋より、何より最優先していた娘時代の、わたしの習い事。
だから、わたしは鋏を買った。
当時の、十分の一くらいの安物の鋏だけれど、筆は選ばない。
今のわたしにはぴったりなのだから。
秋の雨がしっとりと肌に絡みつく、そんな日にわたしは鋏を買った。

                      ☆

すすき(イネ科)@宇治・平等院 

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動物大好きパワー!  村松恒平

Posted on 9月 25, 2007

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【DRAGON ART】第一回展にも出展が決まっている「きゃねこ」さん。現在恵比寿のギャラリー『いさら』にて個展開催中。きゃねこ動物造形展「あれはどこでみつけたんだろう」 。9月30日まで。

【DRAGON ART】としては(というか僕が)超応援したいアーティストなのでご紹介します。
「きゃねこ」さんは、小動物アレルギーにも関わらず2年間以上ペットショップに勤め続けたという大の動物好きです。今回展示を見に行ったときもギャラリーの前でお散歩中の犬を撫でていました。「きゃねこ」さんの回りには、犬や猫、小鳥やゴリラなどの小動物がいつも集まっています(一部嘘)。

不思議な動物オーラ爆発の展覧会。
通りかかった子どもも大喜びです。

写真は僕がさっそくゲットしたもの。
絵みたいに見えますが、立体です。
犬だか、猫だか。
僕は犬寄りに見ましたが、猫に見える人が多いようです。
さっそくシンザブローと名づけました。

これよくない? よくなくなくなくなくなくない?
自慢のコレクションです。

期間中、恵比寿を通る人はぜひ寄ってみてください。

ギャラリーいさら
http://ameblo.jp/g-isara/

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【思考する目】29「国家の裏側」 長島義明

Posted on 9月 8, 2007

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先日2人のアメリカ人に会った。
一人は古くからの友達で僕と同年輩、そして30半ばになる彼の息子である。ジョンは子煩悩でボランティア活動にも熱心な男で一人息子以外に養子縁組したベトナム人の男子を育てていた。
僕が彼と知り合ったのは30年程前だからベトナム人の男の子も30半ばを越えているだろう。ジョンは3回離婚して、3回結婚している。その間、ベトナム人の男の子は誰が育てたのだろうか。
分かれた奥さん、いや、ずっと彼が育てて来た。
日本人には出来ないな、と思う。

 久しぶりの再会なので日本料理屋で食事をした。
ジョンの息子も結婚して2人の女の子の父親になっている。
財布の中から取り出した写真には幸せそうな家族の姿があった。
彼は2人の娘の話になると目を細めて語る。話し振りから可愛くてならないらしい、彼もまた子煩悩な優しい父親だ。

 ジョンの息子はイラク戦場の任務を終え、東京で父親と再会したのだ。食事がおわり、バーでくつろぐと話がイラクの事になり、ジョンの戦場の話になった。
なにげなく彼は語る 「イラクでは26人ほど撃ち殺したかな、民間人の女性、子供も巻き添えでころしてしまったよ」
ニュースの解説のように何の感情もなく話をしている。
ジョンが昔、ベトナム戦争でベトコンと戦い、その話をする。
「俺もベトナムではすいぶんベトコンを撃ち殺したよ。数を勘定する余裕はなかったから、何人殺したかわからないがね」

僕は初めて聞く話。
子供を可愛がり、孤児になったベトナム人の子供を養子にもらい育て、ボランティア活動に熱心な、人のいい笑顔のジョンの戦争の話。その息子のイラクでの話。
アメリカに帰ると子煩悩で家族を愛し平和を語り、普通の良識人。  おそらくアメリカには、このような元軍人がウヨウヨ居るのだろう。

国家に貢献すると云う事のため、戦場で人を撃ち殺す事になんのためらいも無く、アメリカに帰れば良き父親であり、タバコも吸わず、環境問題と健康に関心を持っているアメリカ人の良識。

アメリカの国防、軍事費は世界で飛び抜けて巨大だ。
軍需産業はあらゆる部門に広がり、多くの国民がそれにより生活している。もう、予算は大きくなるばかり、軍事は産業、戦争は生活。このアメリカと云う国の構図、構造は変わらない。これからも。変えるとアメリカは破綻する。

重要なのは日本もそれに巻き込まれつつあることだ。
国家の裏に潜む、権力。
それは人間性も否定する。

写真、文ー長島義明
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芸術はヘンタイだ!「森村泰昌―美の教室、静聴せよ」展  村松恒平

Posted on 9月 2, 2007

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この展覧会は、6時限の授業と放課後から成り立っていて、作品を観ながら各時限約10分間ヘッドフォンの音声で森村自身のレクチャーを聴く形式で進む。
展覧会は、自分の好きなペースで進めることに魅力を感じているので、この形式は最初少し窮屈だった。
また、作家が自作自注をするということにもやや不粋感があった。

しかし、慣れてくると、淡々としていながら意志の明瞭なレクチャーから森村泰昌の真摯な主張が伝わってくるように感じられて次第に面白くなり好感を持った。

ご存じのように森村泰昌は、さまざまな人物に自分を擬してセルフポートレートを撮るアーティストである。見ているうちに感じたのは、芸術としての批評性とかなんとかではなくて、この人はこれがやりたくて仕方ないのだな、ということだった。

今回の展覧会では、絵の中の人物になりきるというテーマ。
いろいろな人に扮しているから、それはリンクを見ていただくとして。

http://www.yaf.or.jp/yma/exhibition/2007/special/02_morimura/time.html

ヌードもある。それは、ノンケの僕としては、どちらかという見たくないかもしれなくて。しかし、表現として堂々としたものです。
絵の中に入りたいという欲望、それは子どもっぽい思いつきとしては、さほど珍しくはないかもしれません。
しかし、それを胸のうちに秘めているのではなくて、大人の行動力と意志を持って大がかりな準備をして実現してしまう。あまつさえ、それを大衆に芸術として公開し喝采を浴びる。
なんということでしょう。
その背後にいかなる性的嗜好があろうとなかろうと、これは立派なヘンタイさんです。
芸術的ヘンタイ。

人並み以上に強い知性も意志力も行動力も美術センスも経済力もあるヘンタイさんです。
しかも合法的ヘンタイです。

そもそも変態行為は、非合法であるか、あるいは当事者同士の秘かな合意に基づいて行われるわけです。
しかし、ここでは、一つの「芸術」という旗印による合意のもと、白昼堂々と完全に合法的な範囲でのヘンタイが行われているわけです。しかも、税金で作られた公的で立派な美術館において、授業という啓蒙的な形でヘンタイ行為が行われるわけです。公序良俗と秩序を愛する一般市民が、この悪影響を受けるわけです。

すばらしい!

美は、ヘンタイ的であるか、存在しなくなるでしょう。
なぜなら、最初から大衆に美しいと認識されるものは、すでにその類型が存在するからこそ認識されるのです。
大衆は初めて見る美は奇異の目で見るか、否定しなければいけません。
なぜなら、それが健全な市民道徳の基礎だからです。

しかしながら、芸術家はそうして否定されたものをしつこく作り続けるから、そのうち、人々は、「ひょっとしてこれって美しいの?」と誤解し始めるのです。
このような価値の転倒やブレが、今日の芸術の意味です。

しかしながら、森村泰昌をヘンタイであると、正しく認識し、リスペクトしたのは、僕だけかもしれません。
森村泰昌はヘンタイではなく、立派な芸術であるのがわからないのかと、非難されそうな恐怖を感じるのは、僕の被害妄想でしょうか?

森村泰昌は立派なヘンタイです。ヘンタイが先で芸術は後です。
どうもそのことがスルーされているような気がする。

森村泰昌という先駆者がいるのだから、若いアーティストは、おおいに勇気づけられなくてはいけません。
人は芸術の名の下に何をやってもいいのです(いちおう合法の範囲でということに…)。
芸術家はヘンタイでいいのです!

森村泰昌は、放課後に、三島由紀夫の割腹自殺前の演説を真似て、絶叫しています。一昔前なら、右翼が怒ってたいへんなことになったかもしれません。
いや、今でも何かこのことで事件が起きるなら、それこそ、森村泰昌の思うツボでしょう。
デビット・ボウイはかつて「僕はステージの上で暗殺されたいんだ」と言っていました。森村泰昌もそのように命がけで絶叫していると思います。

しかし、誰も本気で怒りません。
若いアーティストも大して勇気づけられません。
だからこそ、森村泰昌は、ますます「静聴せよ!」と絶叫しなければならないのでしょう。

僕はその絶叫を聞いて泣きそうになりました。
それが日本のある芸術の景色です。

(写真は会場にて『モナリザ』を演じる筆者。展覧会は9月17日まで。ぜひ行きましょう!)

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