【Esquisse ou Croquis …?】ギャラリー「輪音」の始まり
Posted on 8月 29, 2007
私がスタッフを務めるギャラリー「輪音」は、
元はといえば、おでん屋、鉄板焼屋から派生した場所である。
通りに面して赤い引違いガラス戸があり、開店時には、暖簾も
掛けるから、えてして酔っ払いのおっちゃん達の”2軒目”と
勘違いされてしまう。
ガラス戸を開けると、長い2本のカウンターが目に飛び込んで
くる。昔は、ここに人が鈴なりになって、パクついていたので
ある。
右手の奥に鉄板があり、天井に換気フードの痕跡が残るが、
今は、パソコンが鎮座ましまして、後ろの食器棚はCDラック
と化している。
天井には格子桟が走っているので、1ブロック当たり1人の
割合で展示スペースに…。
現在は2ブロックが作品で埋まっている。
一番面白そうなのが、さっきの換気フードの痕。
アーチストの発想力・創造力・プレゼンテーション力が要求
される。
まだ、名乗りを上げる者は居ない。
「輪音」運営メンバー13人の年齢構成をみると、
・40代:1人
・30代:2人
・20代:8人
・10代:2人
と圧倒的に若い。
新鮮な発想は、若いほど湧きやすいのはモノの道理。
だから、
「イベント企画・実施」
「維持・管理」
は若いメンバーにお任せ。
ワタシにあって、みんなに無いのは「経験」。
彼ら・彼女たちに、選択肢のいくつかを提示することは出来る。
進むべき方向に、過去に経験者が居れば話を聞くことが出来る。
ワタシは、見守る立場に居る…。
ただ…。
問題なのは、ギャラリーというよりは、”たまり場”の状態に
あること。
内装工事が未完成である。
”一見さん”がやって来ても、スタッフは、挨拶・案内すら
まともに出来ない。
HPすら完成していない。
要するに…、
外界の一般市民に公開出来るレベルには達していない。
クラブの「部室感覚」である。
なのに、何故フライヤも配るのか…。
”「輪音」に行けば何か面白いことやってる!”
”「輪音」に行けば、誰か面白い人が居る!”
と人が集まってくるようなスペースになればいいな…。
…またそこから、新しい動きが生まれてくる。
→→→** Links for ** ・・・
■アトリエ「輪音」
http://waon0317.com/
>>AUG/24/’07 (FRI);
>>Written by
>> “Kylin” on the Web ….
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目利きとは何か ■「青山二郎の眼」展2 村松恒平
Posted on 8月 6, 2007
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「青山二郎は26歳の時に、建築家で横河グループの創業者・横河民輔(よこがわたみすけ)氏の中国陶磁の膨大なコレクション図録『甌香譜』(おうこうふ)の作成を名指しで委託されました。5年の歳月をかけ完成させたこの豪華な図録により、青山二郎は古陶磁の世界で揺ぎない評価を得ました」(世田谷美術館 開催概要より)
http://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/exhibition.html
上記の仕事で、青山二郎は、数千点と言われる陶磁コレクションの中から、いちばん美しい60点を選び出して、写真を撮り図録にしました。
聞くだにたいへんな作業だと思いますが、僕は大変さを思うより、いろいろ想像すると、うらやましい気持ちが先に立ちます。青山二郎はすでに目利きであったからこそ、この仕事に指名されたのでしょうが、この作業を楽しみ、作業を通じて自分の眼に絶対の自信を持ったと思います。
作業はかなり広い倉庫のような場所で行われたようです。
選択に当たり、可能な限り多くの陶器を一望にできるように並べたのではないでしょうか。
そこから、どうするか。僕はつぶさに想像してしまいます。
全体を眺めて、一目で不要と思われるものをはじいていくでしょう。
あきらかに優れていると思うものも別の棚に移します。
そうしてよいもの、まだわからないもの、劣るものを分けて並べ替えて、また眺めるのではないでしょうか。
(僕の中の)青山二郎は、その際には史料や箱書きは一切見ません。
ただ自分の感覚だけに問いかけます。
そうして2.3日見続けると、一見優れていると感じたものが、やや色あせたり、最初ぼんやりとしか見えなかったもののよさが輝きだしたりします。そして、また並べ変えます。
並べ替えるとまたいろいろな発見があります。
陶器とのつきあいは、人づきあいと同じで、一目で好きになって仲良くなることもあれば、目立たない人の魅力や長所が時間をかけて見えてくることもあります。ときには、一目ぼれした相手に幻滅することもあるでしょう。
そういうものが見えてくるまで、ときどき並べ替えたりしながらぼやっと眺めている。そういう時間を青山二郎はゆっくり過ごしたはずです。
鑑賞はじつは能動的な行為ではありません。
美術品自体が語り出してくるのを待つ行為です。
つまり、語る言葉を聞く耳を持つということです。
聞く行為に比べると、見る、という行為には、能動性があります。眼はつぶることも、視線をそらすこともできます。「視線」を図示すると、眼から対象物に至る矢印に描かれます。見るということは、光や印象が眼に入ってくることなのですが、眼はあきらかに何かエネルギーと方向性を放っているのです。
しかし、聞く行為は、拒否しようと思っても否応なく耳に入ってくる音があるし、視線ほど意志や方向性が明確ではありません。
そのように受動的にならないと、陶器は自分を語り始めません。
ここまで考えて僕は悟りました。
目利きとは、眼で「聞く」人のことです。
視線を黙らせ
欲望を黙らせ
知識を黙らせると
美の声が聞こえます。
美は小声で語りますが、耳を澄ますことができれば、その語るところは明瞭です。
眼で聞き
耳で見よ。
美の声が聞こえないのは、たいてい見ている人自身が心理的雑音に満ちているからです。
このような雑音を消してモノを見るには、時間を置いて定点観測することです。
美の声は変わりませんが、雑音は変化していきます。
したがって、一定のデータが揃えば、何が雑音であるかを解析し、消去できます。
美を一目で見抜く眼は、最小限の時間経過のデータでこの解析を行う能力であると僕は考えています。
そういう能力を青山二郎は、この作業を通じて磨き抜いて完成させたように思います。
このように時間を超越した眼は、美に対して正確で、人間的事情に対しては、ときに残酷です。(僕が青山二郎展の陶器を見たときは、同美術館2階では、近、現代の展示をやっていましたが、そのときの作品は時の流れを越えた陶磁器と比べれば、本当に「あやふやなもの」に見えました。それは不思議な体験でした)。
5年かかったこの作業の報酬は、当時のお金で千円。いまでいうとどれくらいでしょうか。数百万から一千万くらいでしょうか。
時期は少しずれるのかもしれませんが、小林秀雄が酒をたかりに来て、一回飲みに行って、バーだ、待合いだと、大騒ぎをするとすぐに五十円くらいだったことを青山は書いています。
小林秀雄は、酒をたかるし、金は借ります。白洲正子なども相当奢っているはずですが、少しも卑屈になるところがありません。小林が河上徹太郎に借金を申し込んだときの話を青山は書いています。
「……何に要るんだいと河上が聞くと、この時も長小鉢の向こうからいきなり、河上の横ッ面をピシャリと張った。河上の眼からホロホロと一筋涙が流れた」(鎌倉文士骨董奇譚)
叩かれるのはイヤですが、こういう人間関係が成立していた時期は楽しそうで、うらやましいです。
(冒頭の写真はイメージ。本文と関係ありません)
『甌香譜』所載の作品も展示されています。8月19日まで。
http://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/exhibition.html
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芸術日記// 美しい… 村松恒平
Posted on 8月 2, 2007
昨日は、「京都五山 禅の文化展」へ。
地味ぃ。禅僧は意外に字が下手くそである。
こんなヘタな字と坊主の肖像ばかりをありがたそうに展示されてもしょうがない。
仏像には、国宝とかいいものもあるが。せっかく禅なのだから、十牛図とか、もっと行に使う図案なんかを見せてくれないのか。レストランで言ったら<まかない飯>みたいなのにおいしいのが隠されている気がする。
解説も地道なばかりでエピソードもなく、ちっとも面白くない。
禅が面白いのはエピソードと公案や行でしょう。
この機会に仏教の本質を広めようという姿勢は寺のほうに皆無だね。
そんなことをしなくても観光客で儲かっているから十分なのだろう。
ないものねだりをしても仕方ない。京都でも格式の高い寺を相手にするのは難しそうだ。キュレーターさんもさぞたいへんだったでしょう。……などということばかり考える。
その後。
高橋キンタローが会心のプロデュースという「志水児玉展」へ。伊藤寛明さんが【DRAGON ART】でも紹介済みなので、細かいことは省くが冷房の利いた部屋でしばし瞑想に近い時間。
宇宙の生成もこのようなものであるかもしれない、などと、純粋なイメージと戯れる。
その後。
同ビル2階の森岡書店で。
予定外に唐突に出会いました。
佐藤貢の作品。
いろいろな人に紹介したく、僕としては珍しく写真を撮りました。
これ大好き。
美を貫く純粋な原理。
この世のものならぬ明澄な光。
野蛮にして、はかないものたち。
見るべし。8月25日まで。
森岡書店
http://www.moriokashoten.com/?mode=cate&cbid=161270&csid=0
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【思考する目】28「生活保護法」 長島義明
Posted on 8月 2, 2007
今の日本におにぎりひとつ食べられないで餓死する人がいる。
日本国憲法では「全て国民は平和で健康的な生活をする権利がある」と書かれている。
その為の生活保護法もある。ではどうして餓死する人など出て来るのだろうか。
それはほとんどの国民が最低生活者のことに無関心だからです。
それより、町にあふれるファッションや音楽、今日食べる食事、恋人の事が重要なのです。
生活保護法を受けるのに住民票がどうの、住む場所がないからだめとか、
行政を行う、役所の担当者は何の為に生活保護法があるのか、さえ考えようとはしません。
出来るだけ、彼等にお金を渡さないでおこうとばかり知恵を働かします。
僕は思います。「美しい国」などと云う言葉はいらない、それよりも餓死者がでるような政治を改めて欲しい。と思います。
それと人々の無関心。
最低、食べる事だけは誰もが出来る日本でありたい。と思うのです。
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