【排他的第三の足 3】赤い糸 桑島幸男

Posted on 4月 25, 2007

赤い糸
赤い糸をひっぱると
自分の首が絞まる事を
知らない青春は
どこか寂しくもあり、おかしくもある。
若い力で思いっきり引く事だけは避けたいものである。

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【排他的第三の足 2】あ、俺キリストだった! 桑島幸男

Posted on 4月 22, 2007

Iamyes

俺、今思いだしたんだけど
俺、キリストだった。
どうしよう今更、色々やってもおそいし、
こんな事いったら、友達減るから
黙ってるか!?

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[アートサポーターバトン2] 下山浩一

Posted on 4月 18, 2007

*所属団体名 特定非営利活動法人コミュニティアート・ふなばし
*個人名 下山浩一
*連絡先(メルアド、URL、電話番号、住所など差し支えのない範囲で) PXZ06005@nifty.ne.jp
 http://www.communityart.net
〒273-0005 船橋市本町4-40-23 本町フリーマーケット内


*アートとの出会いを語ってください

自分で選んで観たという意味では、18歳のときに青山のクラブに、ダンスホール・レゲエのイベントに行ったのが最初です。
美人のお姉さんから、熟年夫婦までが踊り狂っているのを観て、感激しました。


*この道に入ったきっかけ、コース

80年代の小劇場演劇にどっぷりつかる。→いろいろなワークショップに参加する。→dumb typeや解体社などの前衛的なパフォーマンスにはまる。→岩下徹さんの即興ワークショップに3年ほど参加する。→自分でダンスワークショップを企画する。→2004年に「コミュニティアート・ふなばし」を法人化する。
→2004年よりアサヒ・アート・フェスティバル実行委員。mixiの「アートマネジメント・コミュニティ」の管理人。今に至ります。


*現在の活動(仕事)内容、活動環境などについてくわしく教えてください。

特定非営利活動法人コミュニティアート・ふなばし理事長として、千葉県船橋市の地元商店街とのアートプロジェクトの企画・運営。
アートNPOや関連分野のセクターとのネットワーキング事業「千葉クリエイティブ・クラスター」の実施。
アサヒ・アート・フェスティバル実行委員として、全国のアートプロジェクトのモニタリングを担当。
特定非営利活動法人アートNPOリンク理事として、全国のアートNPOの連携とアートNPOからの提言などなど。


*毎日、毎週、毎月、毎年のおよその活動サイクルを教えてください。

毎日:アートマネジメント関連のwebのチェック
毎週:コミュニティアート・ふなばしのミーティング
毎月:アサヒ・アート・フェスティバル実行委員会
毎年:5月NPO法人の総会。7月~11月主催するアートプロジェクトでてんてこまい。12月~2月コミュニティアートに関するセミナーを主催。


*自分でやって面白かった最近の活動、イベントなど紹介してください(写真入り)

高嶺格さんの「God Bless America」のレジデンス製作。船橋のアサリ倉庫を借りて24時間3週間かけての製作で、カニが靴に入ってきたり、野生生物に負けそうになりました。
大木裕之の「光の庭に子どもたち」製作。「知的障害児とのダンスワークショップのドキュメンタリー」という当初のアイディアが、大木裕之さんの世界と共鳴して、予想もしない作品に・・・。※現在も進行中。
「アサヒ・アート・フェスティバル」での全国のアートプロジェクトとの交流。各地でユニークなアートプロジェクトを行っている優れたプロデューサー・スタッフの皆さんと交流できて、非常に刺激を受けています。


*芸術とは簡潔にいうと、「何」?

わけわからない状態をつくること。それを続けること。


*芸術行政や、アートを取り巻く環境や動向について感じていること

20代前半のアーティスト・プロデューサーが元気で面白いと思います。アートが地域に与えるインパクトが大きいということにさまざまな自治体が気づいてきたので、アーティストやプロデューサーの仕事の領域が広がってきていると思います。
その反面、アートの社会的認知度が高まり、助成金等も出るようになり、物議を醸すような種類の作品(政治的な作品・性的な作品・暴力的な作品)が減っていると思います。


*アートとお金について、よかったら実情や感じていることを書いてください

アートプロジェクトの資金集めはより行いやすくなってきていると思います。
アート業界に引きこもるのをやめて、いろいろな人と対話を重ねているアーティストは、チャンスが広がっていると思います。


*いちばん好きな作家、感動したアートについて書いてください(複数も可)

大木裕之の作品全般。門脇篤の一連のプロジェクト。


*最近、注目している、あるいは面白かった展覧会、作品、モノ、人、コトなどと、その理由

「ミクロなダンス」
手塚夏子・ほうほう堂(いずれもコンテンポラリーダンス)の作品は、微細な身体の表情・緻密に設計された作品の強度で、メダンスモらしいケレン味がないにもかかわらず、観客を意識の変容にいざなう。
「社会を可視化するアート」
大木裕之(映像)・門脇篤(インスタレーション)の一連のプロジェクトは、人間の関係を可視化するというジャンルで、現代の先端です。


*アートについてお勧めの本

ニューヨーク 芸術家と共存する街 塩谷 陽子 (著)
アートマネジメントの心意気を伝えるという意味で、最高の一冊です。


*今後の方向性や夢

世界中でおもしろいコミュニティをつくっている人と交流したいです。


*その他、主張、アピールしたいことなど

DRAGON ART CREATORユS REVIEW、これからもっと絡んでいければと思います。
よろしくお願いいたしますー。


*バトンを回してくださる方を紹介してください。

アート・オウトノミー・ネットワーク(AAN)のディレクター、インディペンデント・キュレーターでもある・大友恵理さん。
いつも物静かな話し方、丁寧な接し方がステキなお姉さんですが、2007年2月には、ZAIMに国内外のアート団体50以上集めた「SHOWCASE」を大成功させたすごい人です。尊敬しております。
AAN http://www.a-a-n.org

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【排他的第三の足 1】田中君 頼むよ 次、行こう!

Posted on 4月 18, 2007

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まだ選挙中の代議士山田は田中君を
大事な時期なのに
夜の赤坂にさんざん連れ回しむさぼりつくした。
もしかすると、落選して
明日からはもうタダ酒が飲めないかもという
焦りから
完全にグロッキーの田中君を揺すってでも
赤坂のネオン街に行こうとする。
田中君はもう夜空の星になりかけていた。

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~僕が少し縮んだ日~ [吉良留美個展『蟻(ANTS)』] 生島 国宜

Posted on 4月 15, 2007

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僕は身長が178cmある。体重は58kgである。体重はどうでもいいのだけれど、とにかく世間では割と背は高いほうだ。中学2年の頃から体型は変わらない。

僕は日本を出たことがないので、巷での、たとえば建物の大きさだとか椅子の大きさだとか、いわゆる日本人平均に合わせたであろうモノのサイズに狭苦しさを感じることが多い。飛行機だとか電車だとかの座席はいつも窮屈だ。
僕より身長の大きな人というのはいるのだけれど、そういう人を見ても「でかいなぁ」と思うだけである。だだっ広い場所に出ても「広いなぁ」と思うだけである。
何が言いたいかと言うと、広いものや大きいものを見ても自分の178cmの大きさというのは変わらないわけだ。つまりどんな環境であれ、中2以来、僕は日常生活の中で自分のことを「小さい」と思うことなんて、皆無だったということである。

福岡の現代美術シーンを語る上で、絶対に無視できないギャラリーと聞いていて、ようやく訪れることが出来た福岡市博多区千代。
「モダンアートバンク ヴァルト」がそこ。そのギャラリーで2007年4月4日~21日の期間で行われているのが吉良留美個展『蟻(ANTS)』。そのものずばり、小さな蟻の立体作品が並ぶ個展である。その立体作品が1匹、2匹貼り付けられた小作品も販売されていたが、何より圧巻なのはヴァルトのほとんどの床面を覆った蟻の大群である。蟻はフロアの真ん中を山型にすっぽり空けて群れている。そのすっぽり空いた空間はさながらモーセが海を割るかのごとく、来た人に対し左右に避けて行く蟻の群れのようでもある。また、見ようによっては獲物である人間を狙って襲いかからんとする、獰猛な軍隊蟻の群れのようにも見える。蟻たちの色は一様に緑青色で、これを美しいと思うか気持ち悪いと思うかは、大きく人の判断が分かれるだろう。僕は、小学生の時に図工の時間で使った油粘土を思い出した。

吉良留美はこのインスタレーションに対して、紙一枚のちょっとした文章を付けていた。キャプションというでもない、解説でもない、彼女が作品に合わせて書いた文章だ。彼女の立ち位置と、作品の立ち位置がほんの少しだけ分かる、ヒントが書かれている。この文章を読む限り、彼女は鑑賞者に対して「おぞましいもの」や「気持ちの悪いもの」を感じて欲しいと思っているようだった。そして、この作品の鑑賞方法として正当なのは、その大群の中に入って床に寝そべって見ることだと書いてあった。もちろん僕はそんなことはしない。なぜなら、人が土足で歩きまわる床なんかに寝そべったら服が汚れるからだ。

さて、床に寝そべることをしなかった僕は蟻の大群に囲まれて棒立ちのまま、とても不思議な感覚を得た。吉良の蟻は蟻というにはだいぶ大きい。正確に測ったわけでないが、5cmくらいはあるだろうか。当然そんな巨大蟻など見たことない。インスタレーションを行っている空間にはその蟻たちだけが群れていて、他には何も無い。
僕はここで目の前の風景に対して、自分の記憶の中の蟻の大きさを持ち出す。頭の中の蟻の大きさと現実の蟻の大きさ。どうしても合致しない。蟻は小さい虫であるはずなのに、ここに見える蟻は記憶より大きい。それでなんとか辻褄を合わせようと、じっと見ていると、あるタイミングでこの蟻たちが、僕の記憶上の蟻の大きさと合致した。真に目の前の人工蟻を、生き物である蟻だと認識できたわけだ。
その瞬間に、僕は蟻が巨大になった世界に迷い込んだ気がした。いや、もしかすると蟻が大きくなったのではないかもしれないぞ。感覚がそう僕に言う。僕は蟻が目測5cmに見える程度、世界の中で小さくなったのだ。不思議だ。かつて虫の巨大オブジェなど何度も見たけれど、そのモノを見て自分の身体にはね返ってくるような感覚は初めてだ。「僕ちっちゃくなってる。」という感覚は本当に新鮮だった。

というレビューを書いたものの、きっとこの作品に対する吉良留美の意図はもっと別のところにあるのだろう。けれど、僕にとってはこちらの身体感覚を揺さぶる体験のほうが、よっぽど衝撃的で重要だった。さらに言えば、彼女の作品は鑑賞者にただ「気持ち悪い」だけを強いるという、コンセプトを押し売る形の、一方的で幅の狭い脅威的作品ではないのだ。
作家の意図とは全く違うところに作品の真髄を感じてしまう鑑賞者。こういう現象は僕も展示をする側として、よく目の当たりにすることであり、それはネガティブにもポジティブにも取れるのだ。やはり作家と作品と鑑賞者の関係というのは、文字通りに一直線でつながる様な一筋縄というものではいかない。

MODERN ART BANK WALD(モダンアートバンク ヴァルト)
福岡市博多区千代4-12-2
092-633-3989

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[マンガ ぐれ猫モーリス1] 自己紹介の巻 愛仔ねこ

Posted on 4月 15, 2007

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はじめまして
モーリス です

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最近グラフ作成に はまっていて
なんでもグラフにあらわしてみたりして

そこで
自己紹介がわりに
昨日の行動を円グラフにしてみました

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このように
95.8% と
一日のほとんどを睡眠に費やすという現状が
臨場感たっぷりに見てとれます・・

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まっ
猫ですから

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心眼眼鏡  1 橘川幸夫

Posted on 4月 13, 2007

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1.都市がいもなく

都市とは「見る場所」であり「見られる場所」である。僕たちは
「見る」ために都市に集まった。新しいもの、不思議なもの、奇妙
なもの、普通なもの。都市は好奇心を持つ人であふれかえった。た
だし、都市の多様さは、集まった人たち自身の多様さにすぎなかっ
たのだが。

見るために集まった人を、他の人が見て、それをまた他の人が見て、
という連鎖が都市の視線のバブルの正体であった。そのネズミ講的
連鎖はやがて破綻する。

破綻した時、テロが起きた。都市の破綻は、一層のシステム化を促
進する。自動車のスピード違反を監視するために作られたシステム
が一気に暴走するテロリスト個人を監視するためのものとなった。

都市は「見る」ことを主体においた機能から、一気に国家システム
によって「見られる」空間になった。そのことに気づいた若者たち
は、部屋に引きこもった。インターネットで「見る」ことに主眼を
置いた生活をしながら、メールアドレスは拒否するという生活を開
始した。

見ることより、見られることが過剰になった世界をファッシズム社
会と呼ぶ。

僕たちは常に見られている。
僕たちは常に、次に何をするのかを見られている。
その上で、何をすれば良いのだろうか。
そうさ、見返すしかないではないか。
国家を見返すしかないではないか。

渡辺順太郎は見る。池田冴子は見る。見ることによってでしか、見
続けることによってでしか、未来はない。明るい未来とは言わない
が、未来がないというのは、本当に困る。

僕は一台のデジカメを手に入れた。国家が監視しているカメラが映
したものを作品として見たらどうなるのか、というようなことを考
えていた。半年ぐらい、積極的に街に出て、見返すことをしてみた。

「闇の中に現れてくるものは、現れて来る闇だ」というような言葉
は、モーリス・ブランショだったか。デジカメで見ることによっ
て現れてくるものは何であったのか、今は説明しない。

とまれ、
第三次世界大戦は大いなる視線大戦になるのだろう。
万国のニートたちよ、視線を武装せよ。

2.中尾見えてる

そして、僕たちは、都市の中で生まれた。見る・見られるが混沌と
一体化した胎内で生まれた。

あれは1970年代の後半、東京の乾いて汚れた空の下に、カリブ
の風が吹いた。記憶は定かではないが、確か、ジャマイカのラスタ
マンであるボブ・マーレーは、こんな言葉の風を送り込んできた。
「見えないものは悪魔、見えるものが人間。そして最大の悪魔は、
見えているのに見えないふりをするもの」と。見えているのか、見
えていることに自覚的か、そして見えているものの行動とは何か。
その風の言葉は、まるで新聞の特ダネのように、僕らの心に配達さ
れた。

見えていることからスタートしたはずである。見ようとしたわけで
も、見なければならないわけでもない。そのような行為は逆に、見
えているものを隠蔽する。最初から見えていたものだけが真実だ。

1970年代後半、僕は「カメラは鉛筆だ」というコンセプトを作
った。カメラは特別な日の記念写真ではなく、特別な芸術家の創作
道具ではない。カメラは鉛筆だ、まぎれもなく。それは、日々の思
いと在りようを僕に伝えてくれる新聞記者が愛用していた鉛筆であ
る。僕にとってあなたとは新聞記者以外の何者でもない。僕もまた。

あれから何十年もたっているのに、まだ見えないふりをして、カメ
ラを20世紀レベルの芸術の道具にしようとしている人がいるのに
は笑う。一番大切なものは、非日常的な断言ではない。日々のたわ
いのない愛すべき、そして残酷な時の移ろいだ。

時と戯れることが21世紀の基本テーマであるということは、拙著
「暇つぶしの時代」(平凡社)をご覧あれ。

3.心眼眼鏡

ファッションの変遷史をまとめたことがある。防寒から始まって、
部族の発達とともに権力者の権威誇示、階級証明としての衣服の時
代が長くあった。そして近代の曙とともに自己主張という個のエゴ
イズムの発露の時代が始まる。

そして行き着いた世界が肉体をおおうものから脱衣装の流れである。
80年代バブルの時代のボディコンシャスというのが衣服史にとっ
て新段階への分水嶺だと思う。肉体をおおうものから肉体を誇示す
るためのものに変容したのである。都市の村祭りであるディスコか
ら始まったその流れはネオテニーのように原始の場所に誘導し、そ
の先のクラブで始まったのがタトゥーである。最も現代的なファッ
ションが原始的なタトゥーでありボディ・ピアッシングであるとい
うことは、すでに説明の余地はないだろう。それは衣服を脱ぐこと
でしか示せない衣服であり、肉体と同質化した衣服である。

この先に起こりうることは見えている。筋肉にエンジンが組み込ま
れ、鼻奥にセンサーが設置され、そして、コンタクトレンズはデジ
カメになるだろう。見えているものをただ見るためだけのカメラ。
あなたが見えたのと同時に僕にもテレパシーのように見えてしまう
カメラ。「心眼眼鏡」とは、僕が名付けた、その時のコンタクトレ
ンズの商品名である。僕たちはネオテニーの新しい螺旋階段に向か
っている。

(つくづくつづく)

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[アーティスト奇行1] 奇想の顔収集家・村田彩

Posted on 4月 8, 2007

コーポミツ201号 顔のスクラップブック 生鮮食料品

画家、彫刻家、デザイナーなど職種は問わないがクリエイティブな活動をしている人間は、「絵コンテを毎日描く」「気になった雑誌を集める」「写真を撮る」「お酒を飲む」など、日々その創作の源になるような“何か”を続けていたりする。「アーティスト奇行」では、その中でもやや(?)風変わりな習慣・調査を続けるアーティストたちを紹介したい。

今回、その第1回目として、今年多摩美術大学院に進学したばかりのフレッシュな村田彩を取り上げる。その絵画は、何百枚と展示される卒業制作展の中でも、あっと度肝を抜く。初回として、相応しいのではないだろうか。

村田彩は大学入学後から毎日、新聞の切抜きを続けている。もしかしたら、新聞の切抜きは誰でもしているかもしれない。しかしながら、彼女が注目するのは、人の顔である。特に、気になるのは、政治家などの中年の男性の顔の写真。今、そのファイルは何十冊になっているだろうか?それを男性・女性・群集などと分類している。それらは几帳面に整理され、まるで人間の喜怒哀楽を集めた標本のようだ。

「人の顔が好き」と村田は言う。特に、新聞の社会面などに登場する、思いっ切り苦悩していたり、思いっ切り笑っていたり、思いっ切り叫んでいたりする“顔”を集めてしまうという。つまり、感情が極限まで達した表情や、人間くささが表れた顔に興味があるとうことだろう。それらを素材に生き生きとした人間の顔をキャンバスに描いていく。

村田は130号の大作にこの冬から春にかけて取り組んでいた。卒業制作のためである。この絵は多くの人に見られ、それによって大学院などの進学や学芸員、ギャラリストたちの目に触れ、人生が左右される。それでも、村田の個性的な作風は変わらない。とても20歳過ぎの女の子が描いたとは思えないほど、ナンセンスで、グロい。その異様さは自画像であっても、手を抜かないところが圧巻である。そして、その作品には、イタズラ心と下品さがある。
例えば、絵に登場するのは、怪しい生き物やイジワルそうなおじさんやお節介そうなおばさん。それらがお尻を出していたり、いやらしく隅から覗いていたり、鼻水を垂らしていたりしている。
周囲から「(最近流行している)エロには走らないのか」と、聞かれることがあるという。村田はその質問に、笑顔でこう答える。「私のいたずらは小学生レベルなのです」大学で絵画を専攻する学生たちの多くは自分の“資質”が見つけられず、流行に流され、個々の持っている世界観とは違う絵を描いているという。そんな中、この危ない幼稚さを秘めた自分の個性を認め、押し出すその力と根性に、将来性を感じてしまい筆者はその小品を1点所有している。
この春から多摩美術大学の大学院に進学、今後の活動に注視したい。

木下朝美

[この記事は、広く投稿を求めています。どなたでもご投稿ください]

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[アートサポーターバトン1] 木下朝美

Posted on 4月 8, 2007

普段は神奈川県にあるとある市民のためのギャラリーでお仕事をさせていただいています。
アーティストとの出会いや展覧会を見た感動など、覚書程度ですがインターネット上で公開しています。反響があることが嬉しい。それをより、人に読ませるカタチに発展させ、発表してみたいというのが、この雑誌に参加している理由です。日々修行。

1.アートとの出会いを語って
子供の頃、折り紙のコレクターでした。キャラクターのものや千代紙、めずらしい色の紙など、今思えば折り紙がアートとの初対面でした。
初めて感動した展覧会は、高校生の時に観たジョージア・オキーフ展。この画家が描く、クローズアップした花の静物画や風景画の色の綺麗さや線の優雅さに感動し、それぞれの作品の前で立ち尽くした覚えがあります。

2.この道に入ったきっかけ、コース
東京造形大学美術学科比較造形専攻卒業(学芸員資格取得)→美術館の監視・受付のアルバイト(1年)→公立美術館広報担当(3年)→市民ギャラリー美術専門員(4年、現職)

3.現在の活動内容、活動環境についてくわしく
相模原市直営の相模原市民ギャラリーにて勤務しています。ご想像のとおりこちらは、”市民の芸術/文化発表の場”です。常時、絵画や書道、華道などの展示会が開かれています。私の職務はその出展者のサポートや指導です。
それに加え、美術館相当施設として事業を行なっています。具体的には、企画展覧会や市収蔵美術品展、アートプロデューサーを育成する大学生向けワークショップなどです。また、地域の文化芸術活動を記録・保存しています。

4.毎日、毎週、毎月、毎年のサイクル
毎日:
基本は、朝9時に出勤、午後5時退館。大概、閉館時間の8時まで仕事をしています。平素は、展示室や会議室の貸し館事業の受付や、利用者との打ち合わせなどをしながら、企画展の準備や打ち合わせをします。貸館とギャラリーの自主事業を開催している時、勤務内容は異なります。美術展などは、勤務時間外や休日に行きます。
毎週:
休館日は水曜日。展示替えが1週間に一度あります。
毎月:
特にありません。
毎年:
4月~7月までは貸し館事業。8月は、大学生・地域の若手作家などを紹介する展示。9月は相模原市芸術家協会展。10月~12月にかけては、フォトシティさがみはら、相模原市民ギャラリー企画展。年末は隔年で、収蔵美術品展を開催しています。

5.自分でやっておもしろかった、最近の活動、イベントなど紹介
インターネットサイト”ミクシィ”に「アートフェスタロウ」というコミュニティを管理しています。「アートフェスタロウ」は、神奈川県相模原の西門商店街にある彫刻作品(岡本太郎作“呼ぶ 赤い手青い手”)の修復とその街の活性化を呼びかけるイベントです。具体的には、オリジナル作品を販売するアートバザーやアフリカン太鼓によるドラムサークル、子供を対象にしたライブペインティング(赤い手 青い手みんなの手)などです。主に、このイベントの参加者やスタッフが登録しています。業務連絡や募集のほとんどが、ミクシィ上で行なわれ、時には討論となることもありました。
開設の日も浅く、コミュニティとしては小規模ですが、実際に昨年10月に開催し約8,000人の来場者がありました。この主催は西門商業地活性化協議会。
 
6.芸術とは
あらゆるものに宿り、私を感動させるもの
 
7.芸術行政やアートを取り巻く環境や動向について感じていること
  指定管理者制度の導入ほどの大きな変化はありませんが、相模原市民ギャラリーはこの春、教育委員会から文化国際課へと移りました。財団法人化することを視野に入れた動きだと言われています。芸術行政に関わり、勤める身としては、先行きの不安を感じます。
  地方自治体の文化活動が黒字になることはありません。それに対する批判は多い。これは、必ずしも悪い面ばかりではなく、民間や個人ではしないであろう、この地域の美術活動の調査研究を進めている自治体もあります。それが、なかなか浸透しないのは残念なことです。また、小規模ながら素晴らしい発表をしているアート活動を支援することも芸術行政の役割です。例えば、地域画家のグループ展、作家の持ち寄りの野外彫刻展など。非営利ながら、努力している活動を記録し、紹介することはどこでも行われればよいと感じています。

8.アートとお金について、実感していること感じていること
アーティストによっては、目標や気位を高くもち、アルバイトで生活し、そのほとんどを制作に打ち込み結果、清貧に安んじている人間がいます。まるで武士のようです。若い作家たちを日本・海外へと紹介するギャラリストの出現が望まれているのではないでしょうか。

9.いちばん好きな作家、感動したアート
動物の彫刻作品が好きです。三沢厚彦、ミヤタケイコ、薮内佐斗司などはもちろんのこと、以前市民ギャラリーで企画された「動物幻想国五人の作家による立体造形」 展に出展していただいたアーティスト(いしばしめぐみ、宮里進、鳴海愛、吉田朗、南舘麻美子)は、どの方もよい。
学校を卒業したばかりですが、はしもとみお・田代裕基も注目すべき作家です。毎年、東京造形大学では、彫刻専攻のアーティストを集めた「小豆蟲」展があり、二人ともこちらに出展していました。

10.注目している、あるいは面白かった展、作品、モノ、人、コトなどとその理由  新たに注目している地元在住作家のみをあげます。絵画では傍島飛龍。立体では、荒井伸佳、森哲也、三木サチコ。
 今年は、本業の方で合併記念のアートイベントを企画しています。会場は、藤野芸術の家。神奈川県藤野は「アートの街」として有名で、市民が率先して年間さまざまなイベントを開催しています。きのこプランニング、ひかり祭り、ぐるっと篠原おさんぽ展、陶芸市など。どれも手作り感覚が魅力です。

11.アートについてお勧めの本
バーナード・リーチや浜田庄司と民芸運動を興した、柳宗悦の文章は平明で率直。そして、著者の造形美への情熱が感じられお奨め。柳の随筆集が岩波文庫より出版されていますが、旅行記としても愉しめます。

12.今後の方向性や夢
専門は、彫刻、立体造形、環境芸術。今後は、相模川上流を舞台とした野外展示の企画・運営を行ないます。

13.自分の絵画など作品があったら見せて
  ありません…。あえていうなら、展覧会は私にとって作品です。
14.その他、主張、アピールしたいことなど
相模川の見渡せるある公園で、「スカルプチャー・ガーデン(仮称)」と題した野外彫刻展を企画します。参加したい立体アーティスト(テーマを有る程度設けるので選考がありますが)やお手伝いをしたい方は木下までメールアドレスまでご連絡ください。どうぞよろしくお願い致します。

バトンを渡す人■シモヤマさん
アートNPO法人「コミュニティアート・ふなばし」の理事長です。 コンテンポラリーダンス・演劇・ダンスミュージック・現代美術を愛する方です。4200人以上が現在参加しているミクシイのコミュニティ「アートマネージメント」の管理人をされています。行動的で情熱を持ちつつ、公平と冷静さを失わないバランスのいい方という印象です。相手に合わせて話ができる、仕切り上手のコメンテイターでもあります。

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[アー画 ~アートな映画をご紹介~ 1] 『クリムト』 ~絵画のような映画~

Posted on 4月 8, 2007

DVD『クリムト デラックス版』2007/04/25発売 4,935(税込) 販売元:ジェネオン エンタテインメント
DVD『クリムト デラックス版』
2007/04/25発売 4,935(税込) 販売元:ジェネオン エンタテインメント

絵画や立体など、多くのアート作品には言葉がない。明確な言葉を持つものは書道くらいだろうか。それも言葉が言葉として意味を成すのではなく、言葉をモデルに見立てて墨を画材に絵画を描くようなものであり、伝達を目的に言葉を使うものではないとも言えよう。
この映画もまた、そんな作品なのだ。
グスタフ・クリムトといえば、言わずと知れたアール・ヌーヴォーを代表する画家である。芸術の都ウィーンの栄光が終焉を迎えようとしていた19世紀末、クリムトもまた死の床についていた。性病である。
彼の脳裏には、それまでの人生が走馬灯のようにめぐる。官能的な作品はウィーンで非難を浴びたが、逆にパリでは万博で金賞を受賞するなど絶賛される。対象に触れないと描けない彼はモデルと関係を持ち30人もの子どもを作るが、恋人にはプラトニックを貫く。代表作「接吻」のように甘美で妖艶なエロスで”生”を表す一方、少女の遺体を描くことにより、すべてに訪れる”死”をも見つめた。チャンスを与えた若い画家からは自分の才能を脅かされ、あれだけ多くの女性に囲まれながらも「宿命の女(ファム・ファタル)」との恋はなかなか成就しない―――。日本の琳派(りんぱ)の影響を受けた作風で”東洋”と”西洋”とをカンバスに共存させたように、彼の人生は対極から対極へ極端に揺れ動いていたのだ。
本作もまた、揺れ動き続けて留まる所を知らない。時系列は無視され、シーンとシーンも繋がりを持たず、細切れの時間がシャッフルされる。死の間際にある彼の脳内のように、思考は意味を成さない。ストーリーを追おうとしようものなら、すべてが混乱してしまう。台詞の言葉は言葉として機能しているのではない。書道のように、絵画の意味合いを持つものなのだ。―――そう、この映画は絵画そのものなのである。

2007/4/4 LINDEN

公式サイト(一部地域で6月8日まで公開中)
http://www.klimt-movie.com/
■アマゾンでのご購入はこちら
http://www.amazon.co.jp/dp/B000NIVIP0

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