【うつ病とアート】性への視線   よいち

Posted on 4月 20, 2009

ハイヒール

[2] 日常的表現とデザイン行為

前の章で、私がうつ病にかかったごく初期の頃について書きました。
人混みで恐怖に立ちすくみ電車や交差点が怖くなり発作を起こし、過敏な目で誰かをたまたま見つめるだけで吐き気を催しあちこちに逃げ出したのが始まりでした。
一体、ただすれ違うだけの他人の、何を見て何を感じていたのか?
それをもう少し掘り下げてみます。

オフィス帰りの女性。清楚な格好ながら、ラメのハイヒールを履いている。
男性が仕事あがりの時間を楽しむかのように、しゃれたネクタイを着崩している。
ふわりと漂う香水またはお酒の余韻。
そういった電車の中のよくある風景が私にはとてもつらく感じられました。
女性の方が、見た目や香りのバリエーションがあったためにとりわけつらかったように思われます。
流行の髪型、少しばかりのほつれ毛とうなじ、ととのった化粧など。
通常だったら可愛い、きれい、セクシーと思われていたものがことごとく『つらい』動機になるのでした。

 

ごく一般的に、人は持ち物・衣服・振る舞いというモノを通して『自分がこうありたい』『自分はこうである』というコトを表現します。
通勤の行き帰りという限られたシーンの中でも女性らしさ、男性らしさをアピールするのは、見られる意識のある者やアイデンティティを意識する者には誰にもあることでしょう。上手下手や時間労力のかけ方の差こそあれど。

仕事場という制約の中でどれほど女性であるかという表現。
(あるいは自分は女性性を表に出したくないという表現も)。
それは自分は性差という一つのジャンルにおいて、生活圏内での立ち位置を示す『自己カテゴライズ』であり『規定』です。オリジナル性が豊かでも、見る側は既存のイメージを基準に判定するのです。
その為に身にまとう物を選択し振る舞いを行うことは、生活の中における『自分らしさのデザイン』です。

 

私は、他人の自分への視線を意識したのではなく、逆に他人への自分の視線を意識してしまいました。病気のために尋常ならざる感覚で他人を恐ろしく感じるようになったため、見知らぬ人の『自分デザイン』にいちいち反応していました。『男です』『女です』というアピールにはとりわけ恐怖を感じていました。
理由を考えてみます。
とあるロマンティストが、全ての人間は同じ空の下に生きて支え合っていると歌う、ちょうどその感覚と通じるものがありました。全世界の『男』や『女』が私の人生と知らぬ間につながっていて、どこかで互いに傷つけ合っているという感覚がまとわりついていたのです。
女性の美しい足元が偶然目にとまると、ただのかかとが女性性として視界を覆ってきて、知らぬうちにこの人をどこかで傷つけていたか、この人に傷つけられていたのではないかという出口のない暗闇に支配されてしまうのでした。

 

現代社会でごく一般の人が行う『自己デザイン行為』。
上に記したように、今思うと私が恐れていたのは、外見のみで完結する媒体でした。
根拠として、個人的に関わりのある人は利害関係が明白であるなら外見以外の媒体で互いに知りうるものがあるから恐れる必要がなかったのです。

外見のみで完結ということは、伝達媒体としては発信側も受信側も既成のイメージにひどく依存しています。流行のファッションなどは特徴的な一例です。恐怖した時の私の目にはその個人は写っておらず、頭を支配するのは概念としての人間の側面のみ ― 男であり女である ― でした。
まとめれば、ありふれた男と女。抽象的な現代の性でした。

どんなに独自性の高いデザインをしようと既存のイメージやカテゴリからはそうそう脱却できないということを知りました。
それは一方では事実であり、一方では特定の抽象的なカテゴリに収束しようとする私の病理でもありました。
それはごく最近になってやっと言葉で整理できたことです。
限りなく水面に近い無意識で理解してはいましたが。
当時の感覚では、9割以上見しらぬ人間が構成する社会から自分を切り離すしか生きる術がないというきわめて孤独な思いにも苛まれていました。

 

誰もが見て取れる媒体を通して、人間そのものを恐れずにいられない。
ということは、人間のエッセンスを抽出しクローズアップするような『アート』とは接するどころか恐怖そのものである…という時代が、私の中に到来したことになります。

 

そんな私にも生きる場所が、ありました。という話を次回。

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【うつ病とアート】はじめに  よいち

Posted on 11月 14, 2008

手に目

[1] うつ病になりました。

(1) うつ発症時と、人の感情との再スタート

私はうつ病闘病ちょうど8年すぎです。
今は回復期です。
自分から言わない限り初めて会った人にはわからないようで、「実はうつ病です」と話すとびっくりされることもあります。
営業もできます。笑うのも気分転換も、踏ん張ることもできます。頑張れと言われれば励みになります。
うつ病はただのお荷物ではなく、自分が今までよりもっと『生き方上手』になるためのキーになってきています。

この病気とアートとの関わりを、私の経験に基づいて少しずつお話ししたいと思います。

(2) 罹患したきっかけ

当時の仕事で勢いばかり空回りしていたことや人間関係の裏切りにあったことが主なきっかけだったように思います。
私の場合はただのきっかけであり、「原因」ではなかったので、深く言及する必要はないと考えます。

ただし、人間関係というのが自分のとても大事にしているものである一方、最大の弱点であると気づかされたのは、この病気(と、助言してくれた人達)のゆえでした。

(3) もたらされた影響

弱点を突かれて過剰反応するさまは、花粉症の人がシーズンに「花粉」という言葉を聞いただけでくしゃみをしたり「飛ぶ」と天気予報が言っただけで背筋に悪寒がするようなのにかなり似ています。
事実うつ病は、アレルギー症状に喩えるとよく似ているのです。
そしてアレルゲンと言いますか、『何に反応するか』も個人差でさまざまです。
私は『人間』であり『人との関わり』でした。もう少し掘り下げると『性差』や『人の生き様』がどうも問題のようでした。

人に裏切られるという大量の花粉を吸い込んだ私の身体では、他人への抗体が過剰に作られたのです。
私が最初に経験した症状は、(自分を除く)ありとあらゆる他人への恐怖でした。
目に見えない『知人』『どこかでつながってるかもしれない知らない誰か(といったら殆ど世界中のすべて)』への恐怖が恐ろしいほど肥大しました。
ですからスクランブル交差点で立ちすくみ、電車に乗れなくなり、夜の歩道ですれ違う人にぶるぶると震えました。
不思議と、医者や同僚のようにお金を介して何かをやりとりする、利害関係が目に見えている相手だけが全く大丈夫でした。
しかし、『社会』という膨大な人間の集合体を想像すると目が眩みました。

また性差とそのあらわれが目につくと同時に吐き気を催しました。
たとえば女性のおしゃれであるピンヒールやスカート、うなじ。
隣のテーブルのカップルの他愛ないお喋り。…
そういったものは大人が経験するものでもあったので、テレビはニュースもドラマもとても受け付けない代わりにもっぱら子供向けの教育放送、一日の放送終了後のどこだかわからない風景の映像を見ていました。

人間への拒否反応ということは次に、感情への拒否、他人の存在感を感じたくないということに直結してゆきます。
これはもうおわかりのように人間そのものであり人間がいてこそ存在するアートに対して、真逆の状態。

うつ病初期の私は、言ってみればアートどころではなかった。
もし強制的にアートの場に連れて行かれたなら、花粉症の人が杉林に連れて行かれたのと同じ悲惨なことになってしまったでしょう。
私の中のアート氷河期の始まりです。

(4) うつ病とはどういうものか

始まりにあたり、ここでひとつまとめておきます。
よく
「うつ病は心の風邪」
と言いますが、それは『誰でもなる可能性がある』というだけであまりイメージとしては的確ではありません。実際は脳神経伝達物質のトラブルです。もっと的確に表現するなら
「ストレスとの交通事故で脳内を骨折」
ということになります。またしばしば書物などに
「治療開始から半年ほどで回復に向かう」
とありますが、その表記に私は疑問を抱いています。初めて読む人をびっくりさせてはいけない等とそのことがタブー視されているのかもしれませんが、現実には長期化している患者や長くかかって回復した人、治療を諦めてしまった人がたくさん存在します。ですから半年を過ぎても変化がない患者はひどく焦り始めるのです。
どのくらい回復に時間を要するかは著しい個人差となります。
・花粉症にたとえるなら何がアレルギー源か
・ストレス耐性→事故の損害度合いとまた事故に遭う可能性の有無
といったものがまったく一人一人異なるからです。

誰にでも性格の良いところと悪いところがあり表裏一体です。
そして身体が弱った時は誰でもそうであるように、悪いところや弱点が表に出るのがうつ病の特徴でもあります。
その人のうつ病に性格が深く関与している場合は、治療の上で今後の生き方を工夫することになります。自分の弱点を認めて、自分をうまくフォローしながら性格の良い面へとひっくり返す気の長い作業が、闘病と深く直結しているのです。

私の経験ですので、人の生きる世界やアート・表現活動からまず最初に逃げ出したところから、それらに再び関心を持ち深く歩み寄ってゆくまでを、説明を加えながらお話ししたいと思います。

つづく。

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