【うつ病とアート】性への視線   よいち

Posted on 4月 20, 2009

ハイヒール

[2] 日常的表現とデザイン行為

前の章で、私がうつ病にかかったごく初期の頃について書きました。
人混みで恐怖に立ちすくみ電車や交差点が怖くなり発作を起こし、過敏な目で誰かをたまたま見つめるだけで吐き気を催しあちこちに逃げ出したのが始まりでした。
一体、ただすれ違うだけの他人の、何を見て何を感じていたのか?
それをもう少し掘り下げてみます。

オフィス帰りの女性。清楚な格好ながら、ラメのハイヒールを履いている。
男性が仕事あがりの時間を楽しむかのように、しゃれたネクタイを着崩している。
ふわりと漂う香水またはお酒の余韻。
そういった電車の中のよくある風景が私にはとてもつらく感じられました。
女性の方が、見た目や香りのバリエーションがあったためにとりわけつらかったように思われます。
流行の髪型、少しばかりのほつれ毛とうなじ、ととのった化粧など。
通常だったら可愛い、きれい、セクシーと思われていたものがことごとく『つらい』動機になるのでした。

 

ごく一般的に、人は持ち物・衣服・振る舞いというモノを通して『自分がこうありたい』『自分はこうである』というコトを表現します。
通勤の行き帰りという限られたシーンの中でも女性らしさ、男性らしさをアピールするのは、見られる意識のある者やアイデンティティを意識する者には誰にもあることでしょう。上手下手や時間労力のかけ方の差こそあれど。

仕事場という制約の中でどれほど女性であるかという表現。
(あるいは自分は女性性を表に出したくないという表現も)。
それは自分は性差という一つのジャンルにおいて、生活圏内での立ち位置を示す『自己カテゴライズ』であり『規定』です。オリジナル性が豊かでも、見る側は既存のイメージを基準に判定するのです。
その為に身にまとう物を選択し振る舞いを行うことは、生活の中における『自分らしさのデザイン』です。

 

私は、他人の自分への視線を意識したのではなく、逆に他人への自分の視線を意識してしまいました。病気のために尋常ならざる感覚で他人を恐ろしく感じるようになったため、見知らぬ人の『自分デザイン』にいちいち反応していました。『男です』『女です』というアピールにはとりわけ恐怖を感じていました。
理由を考えてみます。
とあるロマンティストが、全ての人間は同じ空の下に生きて支え合っていると歌う、ちょうどその感覚と通じるものがありました。全世界の『男』や『女』が私の人生と知らぬ間につながっていて、どこかで互いに傷つけ合っているという感覚がまとわりついていたのです。
女性の美しい足元が偶然目にとまると、ただのかかとが女性性として視界を覆ってきて、知らぬうちにこの人をどこかで傷つけていたか、この人に傷つけられていたのではないかという出口のない暗闇に支配されてしまうのでした。

 

現代社会でごく一般の人が行う『自己デザイン行為』。
上に記したように、今思うと私が恐れていたのは、外見のみで完結する媒体でした。
根拠として、個人的に関わりのある人は利害関係が明白であるなら外見以外の媒体で互いに知りうるものがあるから恐れる必要がなかったのです。

外見のみで完結ということは、伝達媒体としては発信側も受信側も既成のイメージにひどく依存しています。流行のファッションなどは特徴的な一例です。恐怖した時の私の目にはその個人は写っておらず、頭を支配するのは概念としての人間の側面のみ ― 男であり女である ― でした。
まとめれば、ありふれた男と女。抽象的な現代の性でした。

どんなに独自性の高いデザインをしようと既存のイメージやカテゴリからはそうそう脱却できないということを知りました。
それは一方では事実であり、一方では特定の抽象的なカテゴリに収束しようとする私の病理でもありました。
それはごく最近になってやっと言葉で整理できたことです。
限りなく水面に近い無意識で理解してはいましたが。
当時の感覚では、9割以上見しらぬ人間が構成する社会から自分を切り離すしか生きる術がないというきわめて孤独な思いにも苛まれていました。

 

誰もが見て取れる媒体を通して、人間そのものを恐れずにいられない。
ということは、人間のエッセンスを抽出しクローズアップするような『アート』とは接するどころか恐怖そのものである…という時代が、私の中に到来したことになります。

 

そんな私にも生きる場所が、ありました。という話を次回。

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【Esquisse ou Croquis …?】~『2008年→2009年』~Kylin

Posted on 1月 5, 2009

img_1486_1.JPG 

2008年。
 Kylin にとっての昨年の1年は、公私共々
  「激動の1年」
 に尽きます。
 TV風に、
  「Kylin の 2008年」
 を振り返ります。

 実は、年末に上げるつもりが送信ミス…。
 原稿を送るのが送れた分、
  「Kylin の 2009年」
 も想像します。

 
 ◆2008年◆
  ◇Marcia britto 女史とお習字の稽古
           2008/01/25(FRI)
    →「SoHo Art Gallery」に頻繁に出入りを始めた頃、
       「スウェーデンからアーチストが来るんやけど、
        お習字を教えてやって貰えない?」
      と言われる。
      ご本人は、落ち着いたオトナの女性。
      お習字が彼女の画風にどう影響を与えるのか楽しみ。
  ◇『Bottle Mail~言葉の海を漂いしあなたへ~』
          2008/03/18(TUE)~ 2008/03/23(SUN)
           http://web.mac.com/celio_barreto/iWeb/SoHo/2008.html
    →「SoHo Art Gallery」で初展覧会。
      スタッフから出展者へ立場が変わった歴史的瞬間かも…。
      知人の縫采氏に相当サポートを頂いた。
  ◇「Barco」展
          2008/04/18 (FRI)~2008/04/29 (TUE)
           http://homepage3.nifty.com/kameari-barco/
    →コラムを書いてる『Dragon Art Creator’s Revue』主催。
     サイトでは読み物を拝見しているけれど、
     お目にかかるのは初めての方々多し…。
  ◇Yahoo!「LOVE トーキョー」掲載
       http://lovetokyo.local.yahoo.co.jp/index.html
    →これは、正直驚いた。
     サイトでページを貰うのはともかく、
     同じサイトの他のメンバーが余りに豪華だったから…。
  ◇小山彰太氏『音噺』CD:ジャケット揮毫
         http://www.ohrai.com/home.html
    →今年でも有数の大仕事。
     本物のアーチストと対峙した緊張しつつも
     幸せな時間を過ごす。
  ◇『東京ガールズコレクション』ツアー(tokyobookmark)掲載
      http://openterrace.tokyobookmark.jp/d2008-09-08.html
    →「tokyobookmark」スタッフとの打合せで
      軽い気持ちでツアー企画の提案をしたら通ってしまった。
       「企画者がモニターを…」
      という趣旨絡みで、詳しくないファッションのレポートを書く。

      『SHINKANSEN & LOVE 』NIGHT
      も「tokyobookmark」で関連書籍の発行を知る。
      今まで、この手のイベントは「お客」だったのに、
      今回ばかりは「出展者」として参加。
      「イベント」というものの準備の全貌を知る。
  ◇『とんぼりワッショイ』Vol.5 開催
      http://tonbori.info/
    →今回のイベントは、女性スタッフの活躍が目立つ。
     委員長”てぃあ”君はタジタジ…。
  ◇『T.D.W 』+『Design Tide』
      http://www.design-channel.jp/tdw/
      http://www.designtide.jp/08/jp/
    →このイベントは、毎年建築家として見に行っていたもの。
     今回は2日で3つを見て廻るというハード・スケジュール。
  ◇『Puzzle Project 』
      http://puzzleprojectuk.com/
      http://www.brentartistsresource.org.uk/
    →知人のアーチストから誘われた展覧会。
       ”大阪からいきなり世界へ…”
     を実現したイベント。
  ◇『art cube 2』(SoHo Art Gallery)参加
          2008/12/16 (TUE)~2008/12/21 (SUN)
          http://web.mac.com/celio_barreto/iWeb/SoHo/2008B.html
    →この展覧会は、
      ”What is Art ?”
     という命題が付いている。
     10cm3の透明ボックスの中に何を表現するか?
     結果的に
      「Kylin のは、アダルトな作品だね…」
     と言われる。

 
 ◆2009年◆     
  ◇『とんぼりワッショイ』Vol.6
          http://tonbori.info/
          2009/05/03(FRI)~2009/05/05(SUN)
    →1年間、お休みをしました。
     スタッフもメンバーが変わり、コンセプトも変わります。
      (でも、何故かワタシはまた引っ張られる…?)

  ◇Y.Y. 氏個展
    →大阪の某高級ホテルにあるギャラリーでの個展。
     会場セッティングに関わります。
     
  ◇『水都2009』
          http://www.suito-osaka2009.jp/
    →大阪の中之島周辺での都市型イベント。
     建築を超えた都市計画レベルでの会場セッティングに
     関わります。

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【うつ病とアート】はじめに  よいち

Posted on 11月 14, 2008

手に目

[1] うつ病になりました。

(1) うつ発症時と、人の感情との再スタート

私はうつ病闘病ちょうど8年すぎです。
今は回復期です。
自分から言わない限り初めて会った人にはわからないようで、「実はうつ病です」と話すとびっくりされることもあります。
営業もできます。笑うのも気分転換も、踏ん張ることもできます。頑張れと言われれば励みになります。
うつ病はただのお荷物ではなく、自分が今までよりもっと『生き方上手』になるためのキーになってきています。

この病気とアートとの関わりを、私の経験に基づいて少しずつお話ししたいと思います。

(2) 罹患したきっかけ

当時の仕事で勢いばかり空回りしていたことや人間関係の裏切りにあったことが主なきっかけだったように思います。
私の場合はただのきっかけであり、「原因」ではなかったので、深く言及する必要はないと考えます。

ただし、人間関係というのが自分のとても大事にしているものである一方、最大の弱点であると気づかされたのは、この病気(と、助言してくれた人達)のゆえでした。

(3) もたらされた影響

弱点を突かれて過剰反応するさまは、花粉症の人がシーズンに「花粉」という言葉を聞いただけでくしゃみをしたり「飛ぶ」と天気予報が言っただけで背筋に悪寒がするようなのにかなり似ています。
事実うつ病は、アレルギー症状に喩えるとよく似ているのです。
そしてアレルゲンと言いますか、『何に反応するか』も個人差でさまざまです。
私は『人間』であり『人との関わり』でした。もう少し掘り下げると『性差』や『人の生き様』がどうも問題のようでした。

人に裏切られるという大量の花粉を吸い込んだ私の身体では、他人への抗体が過剰に作られたのです。
私が最初に経験した症状は、(自分を除く)ありとあらゆる他人への恐怖でした。
目に見えない『知人』『どこかでつながってるかもしれない知らない誰か(といったら殆ど世界中のすべて)』への恐怖が恐ろしいほど肥大しました。
ですからスクランブル交差点で立ちすくみ、電車に乗れなくなり、夜の歩道ですれ違う人にぶるぶると震えました。
不思議と、医者や同僚のようにお金を介して何かをやりとりする、利害関係が目に見えている相手だけが全く大丈夫でした。
しかし、『社会』という膨大な人間の集合体を想像すると目が眩みました。

また性差とそのあらわれが目につくと同時に吐き気を催しました。
たとえば女性のおしゃれであるピンヒールやスカート、うなじ。
隣のテーブルのカップルの他愛ないお喋り。…
そういったものは大人が経験するものでもあったので、テレビはニュースもドラマもとても受け付けない代わりにもっぱら子供向けの教育放送、一日の放送終了後のどこだかわからない風景の映像を見ていました。

人間への拒否反応ということは次に、感情への拒否、他人の存在感を感じたくないということに直結してゆきます。
これはもうおわかりのように人間そのものであり人間がいてこそ存在するアートに対して、真逆の状態。

うつ病初期の私は、言ってみればアートどころではなかった。
もし強制的にアートの場に連れて行かれたなら、花粉症の人が杉林に連れて行かれたのと同じ悲惨なことになってしまったでしょう。
私の中のアート氷河期の始まりです。

(4) うつ病とはどういうものか

始まりにあたり、ここでひとつまとめておきます。
よく
「うつ病は心の風邪」
と言いますが、それは『誰でもなる可能性がある』というだけであまりイメージとしては的確ではありません。実際は脳神経伝達物質のトラブルです。もっと的確に表現するなら
「ストレスとの交通事故で脳内を骨折」
ということになります。またしばしば書物などに
「治療開始から半年ほどで回復に向かう」
とありますが、その表記に私は疑問を抱いています。初めて読む人をびっくりさせてはいけない等とそのことがタブー視されているのかもしれませんが、現実には長期化している患者や長くかかって回復した人、治療を諦めてしまった人がたくさん存在します。ですから半年を過ぎても変化がない患者はひどく焦り始めるのです。
どのくらい回復に時間を要するかは著しい個人差となります。
・花粉症にたとえるなら何がアレルギー源か
・ストレス耐性→事故の損害度合いとまた事故に遭う可能性の有無
といったものがまったく一人一人異なるからです。

誰にでも性格の良いところと悪いところがあり表裏一体です。
そして身体が弱った時は誰でもそうであるように、悪いところや弱点が表に出るのがうつ病の特徴でもあります。
その人のうつ病に性格が深く関与している場合は、治療の上で今後の生き方を工夫することになります。自分の弱点を認めて、自分をうまくフォローしながら性格の良い面へとひっくり返す気の長い作業が、闘病と深く直結しているのです。

私の経験ですので、人の生きる世界やアート・表現活動からまず最初に逃げ出したところから、それらに再び関心を持ち深く歩み寄ってゆくまでを、説明を加えながらお話ししたいと思います。

つづく。

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ラブレター専門宅配業者  くわじまゆきお

Posted on 11月 12, 2008

ラブレター専門宅配業者

今、あなたの目の前にラブレター専門の宅配便が来ています。

あなたにはいくつか、出し忘れたラブレターがあるはずです。

あなたには書いた記憶がなくとも、

必ず手にはラブレターが何通かはあるはずです。

ここでのルールはありません。

あなたの手にした、たくさんのラブレターを宅配業者に頼むのも良し、

あなたの心にしまってしまうのも良しなのです。

あなたの出し忘れたラブレターを渡すと、

その青年は大急ぎでラブレターを渡しにいきます。

そして、何日かするといくつかの返事を持ってきます。

あなたはそのとき、奇妙な感覚にとらわれます。

さっき出したばかりのような?

ずいぶん月日がたったような?

もちろん、返事が返ってこないものもあります。

それは、相手次第です。

結果を読んであなたは笑います。

もう、すんでしまったことです。

もちろん、見なくても分かっていた結果です。

あれから、何年経っていることでしょう。

当たり前の結果に、あなたは笑います。

そして あなたはしんでいきます。

ラブレター専門宅配業者の若くて素敵な青年を

たまに、しにがみ などと言う人がいます。


De thuisbezorgingsdienst gespecialiseerd in liefdesbrieven.De thuisbezorgingsdienst gespecialiseerd in liefdes brieven komt bij u langs.

U moet heeft paar liefdesbrieven dat u vergeten bent te posten.

Misschien herinnert u zich het niet, maar u heeft nog paar liefdesbrieven.

Er zijn geen regels hier.

U kunt kiezen om uw liefdebrieven aan de thuisbezorgingsdienst te geven,

of houd ze in uw hart.

Wanneer u de liefdesbrief aan de jonge man overhandigt, hij zal zich haasten om de brief te bezorgen.

En enkele dagen daarna, bezorgt hij sommige antwoorden.

Wanneer dat moment aanbreekt, wordt u met een vreemd gevoel gegrepen.

Misschien hebt u het net verzonden.

Misschien duurde het een lange tijd.

Natuurlijk er is soms ook geen antwoord.

Het hangt af van een ontvanger.

U lacht wanneer u het resultaat leest.

Reeds, was het gebeurd.

Natuurlijk, kende u reeds het resultaat.

Sinds hoeveel jaren toen.

U lacht over te gebruikelijk resultaat.

En dan gaat u naar sterven.

De jonge knappe man van de thuisbezorgingsdienst gespecialiseerd in liefdesbrieven

De mensen noemen hem soms de god van de dood.


秋の夜長、 たまには、こんなの、どうでしょうか。

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【Esquisse ou Croquis …?】~『国際化』~Kylin

Posted on 9月 14, 2008

puzzleproject2008flyer.jpg

 日本列島には居るものの、大阪に限らず、いわゆる「地方」
(東京圏以外に住むという意味で…)に在住する人間には、必ず
 ぶつかる問題がある。
 それは、
  ”東京圏以外に住むデメリットをどう凌ぐのか…?”
 ということ。

 1995年頃以来、「IT」、特にインターネットの発達は、
 情報の双方向性を飛躍的に高めた。
 その場に居ることなく、情報を集めることが出来るようになった。
 「バーチャル」と呼ばれる、「リアル」よりも純粋に観念的な
 空間も出来た。

 けれど…。
  ・政治システムの集中度
  ・メディアの集積度
  ・文化情報の集積度
  ・人口の集中度
 どれを取っても、東京圏は日本の中で群を抜いている。
 天文学の書物に載る「ブラック・ホール」の模式図よろしく、
 東京圏の引力は、本来、真っ直ぐな筈の空間を歪ませて、
 この世の絶対速度基準である「光」さえも曲げて見せるようだ。

 始末が悪いのは、東京圏に居る人々は、その絶対的優位性を
 自覚してないか、自覚していても隠そうとしている…?
 凄く”意地悪な”書き方をします…。
   (たとえ話:悪意はありませんので、念のため…)
  「DRAGON ART CALENDER」
 に載っている展覧会は、東京圏のものばかり…。
 ワタシが気軽に見に行けるものはありません。
 だから…。
 ワタシは自分のブログで、関西圏の展覧会情報を掲載するのです。
 あくまで、自分が出かける際のメモ代わりに…。
  
 例えば、身近な関西圏で、経験と実績を積んだアーチストたちは、
 Mailで、手紙で、言葉で、ワタシに訊ねてくる。
  「自分は、東京圏に進出して、もっと大きなチャンスを狙う
   べきだろうか?」
 ワタシは答える。
  「関西圏で、あなたが”頭ひとつ抜け出ている”のは事実。
   けれど、東京圏へ行ったならば、同じレベルの人間はゴロゴロ
   居るだろうから、目立たなくなってしまうよ…」

 2008年。
 今年に入って、ワタクシ”Kylin”はささやかながらアーチスト
 活動を始めた。
 色々な理由はある。
  ・今までサポートしてきたアーチスト数人から、
    「Kylin も作品展示をしてみたら?」
   と何度となく声をかけられた。
  ・たまたま、とあるギャラリーのオーナーから展示のオファーを
   貰った。
  ・デザインイベントのスタッフを務めるに当たって、展示側の
   段取りを知っておくのも必要だと思った。
 けれど、何よりも、
  ・展覧会を開いて、たくさんの人々が訪ねて来てくれるのは、
   正直、嬉しくて楽しい…。

 アート活動を始めると、多くのアーチストと出会うことになり、
 色々な”口コミ情報”が入ってくる。
 それと共に、ギャラリーとの関係も出来る。
 ”Kylin”が個人的にお世話になっている、幾つかのギャラリーには、
 ある共通点がある。
  ”東京圏以外にあって、必ずしも東京圏ばかりを見てはいない。
   関西圏から、いきなり世界に進出している…”
   ・「digmeout」:米国・豪州
   ・「SoHo Art Gallery」: カナダ・スウェーデン・中国・韓国
   ・「Gallery at The Hyatt」: 中国・韓国・イラン 
   ・「Artist Space CERO 」: 韓国・英国
 
 外国のアーチストと喋っていると、気付くことがある。
 彼らは異口同音に、
   「日本のアーチストは、
    なぜ自分のアイデンティティーを大切にしないのか?」
 と訊いてくる。

 例えば、こんな風だ。
 以前、「SoHo Art Gallery」で個展を開いたMarcia Britto女史は、
 来日の際、書道に興味を抱いた。
 たまたま、昔、お習字を齧った経験があるワタシがお稽古をしたのだ
 けれど、書き方のテクニックを教える時間以上に、文字についての
 質問を受けた。
   Q:日本語には、なぜ、漢字・ひらがな・カタカナの3種の文字が
     あるのか?
   Q:漢字に、それぞれに意味があるのは何故か?
   Q:サインで済むところ、ハンコがあるのは何故か?
   Q:墨の成分は何か?
   Q:和紙はどうやって作るのか?
 これって、日本の文化の解説そのものではないか?
 予感がして、”付け焼き刃”にしろ勉強しておいて良かった…。
 彼女が帰国するにあたって、何よりも大事にしたのは、
 自分がお稽古した習字道具と半紙、それにひらがな1文字を彫った
 彼女用の雅印だった。
 
 このコラムに添付する画像は、
 今、作品を出品中の、
  『PUZZLE PROJECT 2008』(Artist Space CERO)
 の模様。
 「大阪展」が済むと、英国・ロンドンへ渡ります。

→→→** Links for ** ・・・
 ■「digmeout」;
    http://www.digmeout.net/
 ■「SoHo Art Gallery」;
    http://web.mac.com/celio_barreto/iWeb/SoHo/Welcome.html
 ■「Gallery at The Hyatt」;
    http://www.gathp.com/
 ■「Artist Space CERO ;
    http://artistspace.seesaa.net/
 ◇Marcia Britto女史 公式サイト;
    http://www.marciabritto.com/index.cfm?pageID=4
 ○『PUZZLE PROJECT 2008』公式サイト;
    http://unipon2kau2.com/puzzle_project/index.html

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【クワジマ流ちょいアート】声に出して読んでください。くわじまゆきお

Posted on 7月 19, 2008

声に出して読んでください。
声に出して読んでください。
声に出して読んでください。
声に出して読んでください。

あなたが、声に出して読む事により
この文字たちの発明者になります。
ぜひ、この読み方のない文字たちを完成させてください。

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【Esquisse ou Croquis …?】~『音噺』~Kylin

Posted on 7月 17, 2008

cover.jpg

 大阪にある「おーらいレコード」の音楽プロデューサ氏から、
 リリース間近のCDジャケットに題字を揮毫するオファーを
 頂いたのは今年の2月ごろ…。
 某サイトに、北野天満宮「天満書」を奉納したことや、
 知人のギャラリーで個展を開いた外国人にお習字を教えたこと
 などを書いたのが目に留まったとの由。

 
 新譜を出すミュージシャンというのが、小山彰太氏。
 「山下洋補トリオ」「坂田明トリオ」の元メンバーで、
 日本のモダンジャズ・シーンを走って来た人だ。
 ”とんでもない人”というか、”大御所”とも云うべき人のCDに
 関わることになる…。
 何度もプロデューサ氏に確かめた。
  「本当に、ワタシでいいんですか?」
 と…。
 その時の彼曰く、
  「プロの書家に頼めば、
   彼のプライドと流儀が小山氏の要望と合うとは限らない。
   今は、その調整時間が無い。
   ならば、ミュージシャンの”わがまま”に柔軟に対応し、
   何よりも、この出会いを面白がって楽しめる人がいい…」

 今まで出した、小山さんのディスコグラフィをサイトで眺めた。
 その中で気になったアルバムがある。
   『音三昧』
 ボタ、滲み、擦れ。
 毛筆でしか出せない表現に溢れている…。
  ”ただ、綺麗な字が欲しいわけではないのだな…”
 最初は草書で書くつもりだったワタシでも、直感的に雰囲気が
 分かった。

 書体の手本を色々と探した。
 その中には、最近流行りの「お習字アート」の美術書もある。
 たまたま洛中の古本屋でこんな本を見つけた。
  『書体小事典』(東京堂出版)
 中国四千年の先人の息使いが満ちている。

  「音」は王寵の書が良い。
  「噺」は王守仁の書が良い。

 いずれも、筆の運びが流麗である。
 しかし、手本を見ながら書くと、筆が止まる瞬間がある。
 その瞬間、即興性は無くなってしまう…。

 手本を見ずに書けるようになるまで、時間がかかる。
 何枚も書いた。
 お習字というのは、半紙1枚に関しては真剣勝負である。
 ワタシは字を書いている際には息を止めている。
 一度筆の穂先を下ろしたら、もう後戻りは出来ぬ。
 「勢い」と「形」の釣合いがいつ揃うのか…?

 やっとの思いで「OK」が出た時に、
  ”もう息を止めて、根を詰める必要は無いのだ”
 と安堵の溜息が出た。

 今年の七夕の日、
  小山彰太氏『音噺』
 のCDリリースに”GO”サインが出た。
 想像してたのよりは、ずっと神秘的だった。
 
 このジャケットからくるイメージと、実際の音とを聴き比べて
 みて欲しい…。

→→→** Links for ** ・・・
 ■小山彰太氏 プロフィール
     http://www.ohrai.com/musician/koyama.html
    http://www.hotmusic.co.jp/profile/syotaprofile.htm 

 ■「おーらいレコード」
    http://www.ohrai.com/home.html

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【リ・名画 ~re-meiga~】Lot 3 フィンセント・ファン・ゴッホ作《ひまわり》 とに~

Posted on 6月 14, 2008

14euiothie.jpg

今日の名画は、ゴッホの《ひまわり》。

 

誰もが一度は目にしたことがある超有名絵画。

それだけに、おそらく多くの方が、じっくりとこの絵を観たことがないのではないでしょうか。

 

もし、見る機会があっても、

「あ、ゴッホの《ひまわり》だ」

「そうだね。うん」

と、まぁ、これくらいの会話しかしないのではないかと。

 

いやいや、さすがにもう少しするかもしれませんね。

「あ、ゴッホの《ひまわり》だ」

「そう言えば、日本にある《ひまわり》は、58億円で落札されたらしいよ」

「え~、ウソ~!」

「本当」

「じゃあ、目に焼き付けておかなくちゃね」

「そうだね。うん」

この場合、ある意味で、じっくりとは観るのでしょう。

 

しかししかし。

それでは、いけません!

もっとまっさらな気持ちになって、改めて名画を観てみようではないかというのが、この企画。

さぁ、皆さん、準備は出来ましたでしょうか?

 

 

この絵を改めて観て、まず僕が気になったのは、

“ひまわり以外は、意外と雑に描かれている”点。

 

花瓶の輪郭線が、何だかひょろっこくて貧相な感じですし、

壁とテーブル(もしかしたら、床に直置き?)の境目も、まさかの青色のひょろひょろな線。

ひまわりの部分を隠して観たなら、正直、誰の絵か分からないほど。

何だか、ゴッホっぽくありません。

 

さらに花瓶に注目すれば、こんなところにゴッホのサインが。

意外な遊び心。

これまた、ゴッホっぽくありません。

 

 

さて、そろそろ肝心のひまわりの部分を観ていきましょう。

 

…と、その前に。

一つ、皆様にご質問。

 

「あなたは、“ひまわり”と聞いて、何を想像しますか?」

 

夏。夏休み。

太陽。炎天下。

ひまわり畑。一面のひまわり。

ひまわりのような女性。

ひまわり娘。劇団ひまわり

 

…と、まぁ、ざっとこんな感じなのではないでしょうか(最後の方には、微妙なものも混じりましたが)。

 

 

はい。

ではでは、これを踏まえた上で、ゴッホの《ひまわり》をもう一度観てみましょう。

 

ゴッホの《ひまわり》は、おそらく多くの方がイメージした“ひまわり”とは、異なるものなのではないでしょうか?!

 

まっさらな気持ちで観れば観るほど、

「本当にこれ“ひまわり”か?」という不安な気持ちになってきます。

ひまわりというよりは、何だかタワシのようなモノもありますし…

 

今まではこの絵に慣れすぎていて、疑問に思ったこともなかったですが、

 

“そもそも、花瓶に15本のひまわりを活けるって、どうなのよ”と。

 

さすがに花のことに疎い僕でも、花瓶にひまわりオンリーで15本も活けるという無茶はいたしません。

 

 

しかし、このひまわり(っぽい花)。

じ~っと観ていると、今にも動き出しそうな気がしませんか。

それも、“そよそよ”とか“ちらちら”とか動くのではなく、

 

「プギャァーーーー!!」とか、

「ピギシューーーー!!」とか、

奇声をあげて、その辺を飛んでいる蝿なんかを捕まえそうです。

 

ん?

そんなひまわりの1体(ちょうど真ん中にいるヤツ)が、こっちを見ていますね…。

おぉ、怖いです。

こっちを見ないでくれよ。

 

ちなみに、ひまわりの花言葉は、

「あなただけを見つめている」だそうで。

ひー、だから、こっちを見ないでくれって。

 

 

今日の教訓。

「あなたはひまわりのような女性ですね」は、褒め言葉ですが、

「あなたはゴッホの《ひまわり》のような女性ですね」は、褒め言葉にならない。

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[いけばな/鋏の音 6]   展覧会  紫苑

Posted on 6月 1, 2008

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耳の後ろくらいのところで、ずっと思っていたことがある。 それは、いつでも元の場所に戻れるということだ。長い間培ってきたものはそれなりにちゃんと身体のどこかに蓄えられていて、そう簡単には失われないものだと……。あれからもう一月以上も経ってしまったけれど、ギャラリーバルコでの展覧会に際して、それが大きな間違いであったことに気づかされた。搬入までの時間が刻まれた時、最初にイメージしていたことの影が段々と薄まって、わたしの中では合理的や便宜的なことだけが優先されていった。まず、わたしの住まいからギャラリーバルコまでの距離、作品の運搬方法が目の前に立ちふさがって、テーマである『夢と地形』からイメージしていたものは図らずも遠ざかってしまった。 

わたしには生涯テーマとして追いたいと思う素材がある。それは『蓮』なのだけれど、どうしてなのかは自分でも分からないし、説明はつかない。ただ、何かを描こうとか作ろうと思うと、頭の中に蓮が浮かんでくる。人生の中でかなり辛いなぁと感じた時期、何気なく眺めていたのが蓮の群生であった。群生と言っても岡山の後楽園の蓮だから、それなりに人の手は加えられていて自生とは違うけれど、大きな葉の間からすっと伸びた花は、真夏の暑さにも負けず涼しげで気品があった。わたしは背中をじりじりと焼かれながら、その場を立ち去れなかった。釘付けになる理由が何なのか、何故わたしの中にいつも蓮が思い浮かぶのか、皆目見当はつかないが、いつまでじっと眺めていたかった。この理由探しが、もしかしたらわたしの永遠のテーマなのかもしれない。そんなこともあって、わたしは蓮を見るとついシャッターを切ってしまうのだ。 

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さて、前置きが長くなったけれど、いざ蓋を開けてみると、蓄えられていたはずのものは、身体の中のどこを探しても空っぽだった。日々精進している多くの人々の前で、わたしはまるで初心者のそのまた初心者だった。技術も伴わなければ飛びぬけたアイデアもなかったし、稚拙で独りよがりで観念的な自作品が生まれた時、恥ずかしくて仕方がなかった。身体中から冷や汗が噴出していた。鋏を持とうが置こうが、本当は日々精進してこそ、である。次回も、そのまた次回も、きっと全く同じ思いを繰り返すのであろうが、またいつか機会を与えられたなら、今度こそ観念的でない自分のテーマを追った作品を生み出したいと思う。

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美術館に、“笑い”を。  とに~

Posted on 5月 16, 2008

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かつて、智恵子さんが“東京には空がない”と言ったように。

かつて、幾三さんが“俺らの村には電気が無エ”と言ったように。

僕も一つだけ言いたいことがある。

 

“美術館には笑いがない”、と。

 

 

どうも、美術館に行くと、

「有難~い美術品なのだから、ちゃんと静かに、行儀よく、真面目に鑑賞しなければなりませんよ」

と、暗黙のうちに、要求されているような気がするのです。

喋るのはもちろんのこと、笑うだなんて、もっての外。

そんなことしようものなら、“廊下に立ってなさい”、と。

 

美術館に行く多くの皆さんは、何せ行儀が良いものですから、

風景画を見ても、肖像画を見ても、ウンウンと静かに唸っているわけで。

それどころか、全く意味の分からない抽象画を見ても、単なるポルノのようなヌード画を見ても、同じように、ウンウンと静かに唸っている。

「芸術は爆発だ!」という芸術家の作品を前にしても、これがどうして、やっぱり同じようにウンウンと唸っている。

芸術家がいくら爆発していても、鑑賞者は爆発しない。

…これって、ちょっと変なことではないでしょうか?

 

 

一体、いつから美術館は、こういう場所になってしまったのでしょうか。

 

思うに、昔は、鑑賞する人だって、ちゃんと爆発していたはずです。

美術館とは、もともとそういう場所だったに違いありません。

…どうして、そう言い切れるのか?

その理由は、ちょっと考えればわかります。

昔は、テレビもなければ、映画館もない、雑誌もなければ、マンガ本もない時代。

本の挿絵くらいはあったのでしょうが、美術館に行かなければ、どんなカラーの絵も見られなかった、そんな時代。

楽しい絵も、怖い絵も、笑える絵も、ちょっぴりHな絵だって、すべては美術館にしかなかったのです。

 

だから、当時の人にとって、美術館は何よりの娯楽施設だったはず。

 

 

かつて、美術館には、笑いや楽しげな話し声が満ち溢れていた―

そんなことを想像してみると、何とも楽しい気持ちになりませんか。

 

好きな画家の新作に出会えて、感動の声をあげる人。

面白い絵を見て、笑いあう家族。

ロマンティックな絵を見て、微笑みあうカップル。

 

 

 

しかし、今、そんな光景は、驚くほど、美術館では見られない…。

 

果たして、かつての“笑い”を失った美術館に、未来はあるのでしょうか。

 

 

だから、一人の美術好きとして。

そして、何よりも、一人の芸人として。

美術館を、もう一度、活気に充ち溢れさせてみたい。

 

 

さて、そんな機会を、横浜美術館に与えて頂けることとなった。

「美術展会場のど真ん中で、好きなことをしていいよ」とまで、言って頂けた。

 

 

今月の24日と25日。僕は、横浜美術館で一つの答えを出そう。

http://www.yaf.or.jp/yma/detail.php?num=0

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