【うつ病とアート】性への視線   よいち

Posted on 4月 20, 2009

ハイヒール

[2] 日常的表現とデザイン行為

前の章で、私がうつ病にかかったごく初期の頃について書きました。
人混みで恐怖に立ちすくみ電車や交差点が怖くなり発作を起こし、過敏な目で誰かをたまたま見つめるだけで吐き気を催しあちこちに逃げ出したのが始まりでした。
一体、ただすれ違うだけの他人の、何を見て何を感じていたのか?
それをもう少し掘り下げてみます。

オフィス帰りの女性。清楚な格好ながら、ラメのハイヒールを履いている。
男性が仕事あがりの時間を楽しむかのように、しゃれたネクタイを着崩している。
ふわりと漂う香水またはお酒の余韻。
そういった電車の中のよくある風景が私にはとてもつらく感じられました。
女性の方が、見た目や香りのバリエーションがあったためにとりわけつらかったように思われます。
流行の髪型、少しばかりのほつれ毛とうなじ、ととのった化粧など。
通常だったら可愛い、きれい、セクシーと思われていたものがことごとく『つらい』動機になるのでした。

 

ごく一般的に、人は持ち物・衣服・振る舞いというモノを通して『自分がこうありたい』『自分はこうである』というコトを表現します。
通勤の行き帰りという限られたシーンの中でも女性らしさ、男性らしさをアピールするのは、見られる意識のある者やアイデンティティを意識する者には誰にもあることでしょう。上手下手や時間労力のかけ方の差こそあれど。

仕事場という制約の中でどれほど女性であるかという表現。
(あるいは自分は女性性を表に出したくないという表現も)。
それは自分は性差という一つのジャンルにおいて、生活圏内での立ち位置を示す『自己カテゴライズ』であり『規定』です。オリジナル性が豊かでも、見る側は既存のイメージを基準に判定するのです。
その為に身にまとう物を選択し振る舞いを行うことは、生活の中における『自分らしさのデザイン』です。

 

私は、他人の自分への視線を意識したのではなく、逆に他人への自分の視線を意識してしまいました。病気のために尋常ならざる感覚で他人を恐ろしく感じるようになったため、見知らぬ人の『自分デザイン』にいちいち反応していました。『男です』『女です』というアピールにはとりわけ恐怖を感じていました。
理由を考えてみます。
とあるロマンティストが、全ての人間は同じ空の下に生きて支え合っていると歌う、ちょうどその感覚と通じるものがありました。全世界の『男』や『女』が私の人生と知らぬ間につながっていて、どこかで互いに傷つけ合っているという感覚がまとわりついていたのです。
女性の美しい足元が偶然目にとまると、ただのかかとが女性性として視界を覆ってきて、知らぬうちにこの人をどこかで傷つけていたか、この人に傷つけられていたのではないかという出口のない暗闇に支配されてしまうのでした。

 

現代社会でごく一般の人が行う『自己デザイン行為』。
上に記したように、今思うと私が恐れていたのは、外見のみで完結する媒体でした。
根拠として、個人的に関わりのある人は利害関係が明白であるなら外見以外の媒体で互いに知りうるものがあるから恐れる必要がなかったのです。

外見のみで完結ということは、伝達媒体としては発信側も受信側も既成のイメージにひどく依存しています。流行のファッションなどは特徴的な一例です。恐怖した時の私の目にはその個人は写っておらず、頭を支配するのは概念としての人間の側面のみ ― 男であり女である ― でした。
まとめれば、ありふれた男と女。抽象的な現代の性でした。

どんなに独自性の高いデザインをしようと既存のイメージやカテゴリからはそうそう脱却できないということを知りました。
それは一方では事実であり、一方では特定の抽象的なカテゴリに収束しようとする私の病理でもありました。
それはごく最近になってやっと言葉で整理できたことです。
限りなく水面に近い無意識で理解してはいましたが。
当時の感覚では、9割以上見しらぬ人間が構成する社会から自分を切り離すしか生きる術がないというきわめて孤独な思いにも苛まれていました。

 

誰もが見て取れる媒体を通して、人間そのものを恐れずにいられない。
ということは、人間のエッセンスを抽出しクローズアップするような『アート』とは接するどころか恐怖そのものである…という時代が、私の中に到来したことになります。

 

そんな私にも生きる場所が、ありました。という話を次回。

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【うつ病とアート】はじめに  よいち

Posted on 11月 14, 2008

手に目

[1] うつ病になりました。

(1) うつ発症時と、人の感情との再スタート

私はうつ病闘病ちょうど8年すぎです。
今は回復期です。
自分から言わない限り初めて会った人にはわからないようで、「実はうつ病です」と話すとびっくりされることもあります。
営業もできます。笑うのも気分転換も、踏ん張ることもできます。頑張れと言われれば励みになります。
うつ病はただのお荷物ではなく、自分が今までよりもっと『生き方上手』になるためのキーになってきています。

この病気とアートとの関わりを、私の経験に基づいて少しずつお話ししたいと思います。

(2) 罹患したきっかけ

当時の仕事で勢いばかり空回りしていたことや人間関係の裏切りにあったことが主なきっかけだったように思います。
私の場合はただのきっかけであり、「原因」ではなかったので、深く言及する必要はないと考えます。

ただし、人間関係というのが自分のとても大事にしているものである一方、最大の弱点であると気づかされたのは、この病気(と、助言してくれた人達)のゆえでした。

(3) もたらされた影響

弱点を突かれて過剰反応するさまは、花粉症の人がシーズンに「花粉」という言葉を聞いただけでくしゃみをしたり「飛ぶ」と天気予報が言っただけで背筋に悪寒がするようなのにかなり似ています。
事実うつ病は、アレルギー症状に喩えるとよく似ているのです。
そしてアレルゲンと言いますか、『何に反応するか』も個人差でさまざまです。
私は『人間』であり『人との関わり』でした。もう少し掘り下げると『性差』や『人の生き様』がどうも問題のようでした。

人に裏切られるという大量の花粉を吸い込んだ私の身体では、他人への抗体が過剰に作られたのです。
私が最初に経験した症状は、(自分を除く)ありとあらゆる他人への恐怖でした。
目に見えない『知人』『どこかでつながってるかもしれない知らない誰か(といったら殆ど世界中のすべて)』への恐怖が恐ろしいほど肥大しました。
ですからスクランブル交差点で立ちすくみ、電車に乗れなくなり、夜の歩道ですれ違う人にぶるぶると震えました。
不思議と、医者や同僚のようにお金を介して何かをやりとりする、利害関係が目に見えている相手だけが全く大丈夫でした。
しかし、『社会』という膨大な人間の集合体を想像すると目が眩みました。

また性差とそのあらわれが目につくと同時に吐き気を催しました。
たとえば女性のおしゃれであるピンヒールやスカート、うなじ。
隣のテーブルのカップルの他愛ないお喋り。…
そういったものは大人が経験するものでもあったので、テレビはニュースもドラマもとても受け付けない代わりにもっぱら子供向けの教育放送、一日の放送終了後のどこだかわからない風景の映像を見ていました。

人間への拒否反応ということは次に、感情への拒否、他人の存在感を感じたくないということに直結してゆきます。
これはもうおわかりのように人間そのものであり人間がいてこそ存在するアートに対して、真逆の状態。

うつ病初期の私は、言ってみればアートどころではなかった。
もし強制的にアートの場に連れて行かれたなら、花粉症の人が杉林に連れて行かれたのと同じ悲惨なことになってしまったでしょう。
私の中のアート氷河期の始まりです。

(4) うつ病とはどういうものか

始まりにあたり、ここでひとつまとめておきます。
よく
「うつ病は心の風邪」
と言いますが、それは『誰でもなる可能性がある』というだけであまりイメージとしては的確ではありません。実際は脳神経伝達物質のトラブルです。もっと的確に表現するなら
「ストレスとの交通事故で脳内を骨折」
ということになります。またしばしば書物などに
「治療開始から半年ほどで回復に向かう」
とありますが、その表記に私は疑問を抱いています。初めて読む人をびっくりさせてはいけない等とそのことがタブー視されているのかもしれませんが、現実には長期化している患者や長くかかって回復した人、治療を諦めてしまった人がたくさん存在します。ですから半年を過ぎても変化がない患者はひどく焦り始めるのです。
どのくらい回復に時間を要するかは著しい個人差となります。
・花粉症にたとえるなら何がアレルギー源か
・ストレス耐性→事故の損害度合いとまた事故に遭う可能性の有無
といったものがまったく一人一人異なるからです。

誰にでも性格の良いところと悪いところがあり表裏一体です。
そして身体が弱った時は誰でもそうであるように、悪いところや弱点が表に出るのがうつ病の特徴でもあります。
その人のうつ病に性格が深く関与している場合は、治療の上で今後の生き方を工夫することになります。自分の弱点を認めて、自分をうまくフォローしながら性格の良い面へとひっくり返す気の長い作業が、闘病と深く直結しているのです。

私の経験ですので、人の生きる世界やアート・表現活動からまず最初に逃げ出したところから、それらに再び関心を持ち深く歩み寄ってゆくまでを、説明を加えながらお話ししたいと思います。

つづく。

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宝田伸昭展 ─ 画廊と一緒にできること  よいち

Posted on 8月 15, 2008

宝田疹失酩�

宝田伸昭さんの初めての個展が開催される。
今回ここで、開催前に紹介したい理由は、「作品とは何か」「創るとは何か」「画廊は人に何ができるのか」について一つの例を提示したいからである。

宝田伸昭さんは、美術関係の学校を卒業した経歴はあるが、現在に至るまで日常の業務としては美術と関わりない会社員として忙しく働いている。
画廊「アートスペースある・る」は2002年に茨城県の県南、どんどん新興住宅地としてマンションが増えているあたりにオープンした。
市外ながら近隣に在住する宝田さんは、殆ど全ての展覧会に来場し、時には自分の作品を持参して画廊オーナーに批評を受け、またこつこつと描きためていった。その作品の独自性は自身も作家であるオーナーの目をひきつけ、作品を見せてもらうのを楽しみにするほどになった。
宝田さんは一方日々の勤労によってこつこつとお金も貯めた。

そうして、およそ6年が経過し、宝田さんが初めて個展を開く運びとなった。
つい最近この画廊に関わるようになった私にとってもこのことは大変喜ばしいことであった。
宝田さん自身はまだ「個展を開く」ということについて、喜びのほかに確実に慌ただしさと戸惑いを感じている。一方、画廊側は全力でバックアップしたい思いと溢れんばかりの喜びを感じている。とりわけ、オーナーの表情には我が子の晴れ舞台のように緊張と嬉しさで輝いている。

打ち合わせにあたり、不肖私も宝田さんの作品の資料を拝見した。
その画面から発する表現に衝撃を受けた。次に私の頭に浮かんだのは、長い専門教育を受けたり画家を名乗って画術を洗練させることにどういう意味や価値があるのだろうかというあらためての疑問だった。
彼の荒々しいタッチには、時として粗にして雑な部分がある。でも単なる「粗雑」ではない。あまりの息苦しさが胸を貫き、咆哮が聞こえ、目を背けたくなるような思いがそのまま筆を抑え、ついに投げ捨てている。
時として緻にして密な部分がある。しかし単なる「緻密」ではない。何度でも立ち戻る譲れないこだわりや執念、そういう自分への諦念や哀愁がやるせないほど浮かび上がってくるまで筆を止めない呼吸をしない、そういう空気が伝わってくる。

画面内の均衡をそつなくおさめることだけに力を注いで6年間過ごして来たら、あるいは一度でもそのことにかかりきりになったなら、きっとこのような作品にはならなかっただろう。
これほど声の聞こえる絵にはならなかっただろう。

宝田さんの直筆の文章を読ませてもらった。
ジャンルで言えば散文詩なのだろう。しかし「詩」というほど人の耳や目に対してお行儀良くしようとしていない。
日々の繰り返しの中で言葉をつむぐ上で思考し、考える上で言葉を重ね、重ねた上にさらに自分の視線を載せて、さらに思考する。渾身の思いで作った言葉のミルフィーユのようであると思った。

文章の量が多いので分類・取捨選択して本人に目を通してもらって、ネットに掲載してみた。しかしあらためて自宅のパソコンで自分の文章を読んだ宝田さんから慌てた声で電話がかかってきた。
激しいショックを受けた、という。
ミルフィーユの断面はあまりにも生々しかった。それを展覧会より先に公開するのも、茫漠たるネットに曝すのも、おそろしかったのだ。
先にそれらの文章をまとまってご覧いただいたお客様には申し訳ないが一旦削除させていただいた。今はあくまで展覧会の入り口として、ミルフィーユに喩えるなら試食のひとくちのみ掲載している。

繰り返して言う。
「宝田伸昭展」は宝田伸昭という人間の内面が、人生の一断面が、本人の視点で深くざっくり遠慮会釈なく展示される空間になる。
けして洗練されたものとは違う、だが確実に強い個性に圧倒される空間になるだろう。
文章も一冊にまとめて会場に置き、作品の後で手にとっていただく形をとる。その中にもまた世界が深まっていることにお気づきいただけるだろう。

さて、
悪く言えば画廊慣れしていらっしゃる、号何十万という作品を見慣れた常連のお客様がどのように思われるか。
初めて画廊に足を運び、あらためて宝田伸昭という人を目の当たりにした知人友人がどう反応されるか。
「美術」という言葉は「美」の「術」だと思っているそのスジの方々の心に何が残って下さるだろうか。
そして何より、この影響が宝田さん自身にどう還ってゆくか。個展をやって良かった、絵を続けて良かった。いいことも悪いことも含めてそう思っていってくれたらと思うが、…

本当に、これからである。もうすぐである。
興味のある方には是非、観にいらしていただきたい。
美術とはなんぞや、と思う方、あるいはごく普通の会社員として毎日仕事に追われている方にも、ご覧いただきたいと思う。

9/1(月)~9/7(日) 11:00~18:00(最終日17:00)
アートスペースある・る

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おすすめスタッフ  よいち

Posted on 6月 12, 2008

結婚は二人だけのものじゃない、わよね。
今日は空も明るく気持ちのいい風が木々をゆらめかし、ギャラリーにものんびりとした空気が流れていました。

さて、常連の方がいらしてにっこり笑顔を交わし。常ならば作品の話をひとしきりしてお帰りになるのですが。
その方はアマチュアながらかなり占いをなさる方で、当たるか当たらないかは追跡調査なぞしていませんけれどもとても「ドンピシャリ」という話し方をなさるのです。占いの重さはその話し方の持つ力によるように思います。
カウンセリング代わりに占い師のところに通うという人がいるのもわかります。

この方に私の個人的な話をするのは初めてでしたが、それで今日、初めて私を「みて」もらいました。
なんと私は再来年結婚するそうです。
私からもあまりあらいざらい話したわけではないので、確信率もそこそこだと念を押されましたが、由来は私の顔相と家の間取りと生まれ年です。
結婚はしたいが自分の一番やりたいことのベクトルとうまいこと混ぜられないので、まずしばらく先だろうくらいにしか思っていませんでしたが、リアルな数字を出されると気圧されますね。

そして、その話を聞いて一番に思い浮かんだのが、私の勤めているギャラリーのオーナーが喜ぶ顔でした。私の両親が浮かんだのはその10秒後。
「オーナーは喜んでくれるでしょうね」
と話したら、お客様は強くうなづきました。少し考える顔をして、再びうなづきました。

それから仰ったのが
「あなたは結婚したらやわらかくなるわよ」
「えっ……私、固いですか?言葉遣いでしょうか?態度が?」
「いえ、オーラが固いのよ」
オーラですか。
でも、なんとなくわかる気がするのです。固いということは。
以前のスタッフさんは還暦くらいの女性ですが、その方が交代されたことをいささか名残惜しそうにしていらっしゃるのは40歳以上くらいの女性のお客様。
次第に、人には言えないような本心や持論を楽しげに話すようになった(らしい)のは、同じ年代でも愛好家・作家の男性の方です。生真面目そうな笑顔が逆に話しやすいのでしょう。
最近では、乗るタクシーごとに運転手さんも以前の3割増しくらいで、社会問題や経済のことをお喋りするようになりました。夜間でなくてもです。

私がもしやわらかい雰囲気、オーラと呼んでも構いませんが、そういうものを身につけたら、ギャラリーももっとやわらかくて居心地良くなるだろうな。そしたらもっと如才なくお客様がくつろげるようにできるだろうな。気軽にお越しいただけるだろうな…
何よりそれが欲しいと思いました。

いかがですか、こんな献身的な運営スタッフは?

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日常にもっとアートを。 よいち

Posted on 2月 21, 2008

二月の中庭

昨日、当ギャラリーの展覧会会場にお越しになったお客様 Tさんと、ひときわ大きな油彩の抽象画を前に、しばらく話し込んだ。
Tさんは、展覧会のたびに足を運ぶのを楽しみにして下さる常連さんのおひとり。そして、何度か作品をお買い上げいただいた方でもある。

Tさんは、首を傾げていた。
「韓国のドラマを好きでよく観ているのだけれど、その背景に、家の中のちょっとした壁などにね、こういう気の効いた現代アートの絵画が飾ってあったりするのよ。ほんとに何ということのない主張するというわけではない小さいものだけれどそれがとっても素敵なの。
日本のドラマを観ていてもそういうものはないのよね。もっと普通に、現代美術を採り入れればいいのにね。なぜやらないのかしら」

そこで私も首を傾げて、ふたつの仮説を挙げてみた。

(1) 韓国では、実際に中流階級以上の家庭で、日常の中でアートを採り入れるハードルが低くなっている。

これは近頃私の中でちょっとホットな話題である。
船橋市民ギャラリーで連続講座「市民が育てる文化施設」の初日、 2008年2月13日に第1回「上海アートシーンと新しいアートスペース」が設けられた。
Nam HyoJunさんの談話から、アーティストの活動しやすい海外の現状(上海、北京など)について語られたというログをネットで拝読した。
日本で現代アーティストが活動しにくい背景は、生きにくさや刺激を求めて海外に出てしまう作家もいること、その支援団体すらあること。
それらを考えれば、ある程度は想像にかたくない。

次に

(2) 韓流ドラマとして日本で放映されているのは、韓国の現実の日常よりはかなり夢物語という世界である。

つまり、日常では実際にどうかということはわからない、という前提である。

そうすると、日本では夢物語のようなドラマはないのか?
あるだろう、とTさんと話し合った。
リアルであることが好まれる最近のドラマの傾向がある面では事実だとしても、たとえば「月9」という時間帯が特別であったりする事実もまたある。
その特別さはスタイリッシュであること。高級さや豪華な生活ではないが、格好のいいキレのいい人間の生きざまや生活風景である。
まさに中流階級ちょっと上、といったところだ。
しかし、その日本の夢物語には、現代アートの額が飾られることはないようだ。
注記しておくと、Tさんの提供した話に依る根拠であって、私は月9をこれまで網羅してきているわけではない。ただしTさんにはそこが非常に違いとして気がかりであるようだった。
なのでこのまま、その雑談から先へ進む。

たとえば日本のドラマの小道具や美術は、小物づかいがとてもうまいと思うことがある。「粋」「趣」という言葉がしっくりくるような。そこにはしっかり技術と資金を投入しているから嘘がない。
でもその「粋」「趣」に、なぜか現代アート作品が見当たらない。
Tさんは、
「たとえばこの作品だって、背景に置いたら素敵だし、お値段だって私が買える範囲なのに」
と、大きな作品に挟まれて展示されている、規格より非常に小さい正方形の油彩画を指した。

『アートを買う』ということについて、慣れない人にとっては相当なハードルがあることを、画廊にいると常々感じる。

このたび、Tさんは、ちょっとしたコラージュの作品を一点と、版画にペイントを加えた小作品一点をお買い上げになった。
どちらも、プレゼントにしたいということである。
Tさんのお買物はいつもそのように、相手に負担にならない金額と相手の年齢や好みを考慮して、しばしばプレゼントとする。

そういうことは、誰かにものを贈るときに誰でも考えることだ。
金額は、アートだからといってとびぬけた価格を選ばなくても良い。今回のTさんだって一作品につき2万円也、である。
その気になれば、アート作品を手にすることは、ちょっとした本革のバッグや靴を買うことや、好みのブランドのワンピースを買うことと、金額的にそれほど差があるわけではない。
そう、Tさんと一緒にうなづいた。

価格の話を進める。
ある美術関連のネットサイトで、
「美術館のミュージアムショップでの買物」
という話題に関して、
「自分の好きな著名な作家の実物作品は買えないが、そのリトグラフは好んで買う」
という回答が目立ったので興味をひいたことがある。
さて、『著名』な『リトグラフ』、幾らぐらいの値段をするのだろうか。

リトグラフもとても精巧なものは出来が良く、所有することは非常に楽しいことだろう。
ここで注目したいのだが、同じ価格で、作家が作った生の作品を手にすることはまた別の喜びがあるのではないかということだ。必ずしもその作家の名前を、国立美術館で見かけたことがなくても、である。

たとえば、Tさんと眺めていたその作品、
「こういうとこがね。いいよね」
と指で空をなぞったあたりは、油彩のマチエールのビビッドさが繊細かつ個性的で、とりわけ作品を魅力的に構成しているところであった。
油彩に限った話ではない。版画にも水彩にも、立体にも、どんなに精緻なつくりであってもそこには作家の指づかい、息づかいがある。
その作品を手から手に。
あるいは自宅に置いてみたり、あるいは人に贈ってみたりと渡ることは、本当に生きたコミュニケーションだと思う。

話題はさらに広がる。
よく、お客様から『絵をかける場所がない』というお話をうかがう。
ご来場の方の中には、ギャラリーでの挨拶・常套句として
そう口にされる方もいらっしゃるだろう。
だが、本当に魅了されて、何度も同じ作品の前に行きつ戻りつし、それでも最後にこの言葉を発して残念そうに去ってゆかれる方が事実、いらっしゃる。
その作品は必ずしも、号数万からといった銀座の画廊さんがバックについているような作品ばかりではないし、日本指おりといった作家というわけでもないのである。
絵を買ったことがないのでどうしたらいいのか、高い買物なのかどうか判定しかねるのではないかと、お話をうかがっていると推測される。

Tさんのような買い慣れた方や、作家さんご自身など、さまざまな方からアイディアを頂戴しているので、私もプレゼンテーションすることがある。
西洋的な建築の何もない壁のようなものが必要大前提と想像するところからつまづいてしまっているのではないですか…というふうに。
ある方は、階段の手すりに平面作品をかけていらっしゃるという。
ある方は、トイレの中が家の中でもっとも芸術の場であり、安らぎの場であると、冗談混じりの本気でおっしゃった。
多分、いろんなご家庭で、ちょっと素敵なカレンダーを年末にいただいたりした折、これはどこにかけようか、と思うことがあるだろう。
それと同じ感覚で良いのではないですか、と。
そして、たとえば花の絵のような季節ものなのだとすれば、花瓶に飾る花と同じに季節が過ぎたらそっとしまって、またひと巡りした頃に出しても良いのである。家の中の日常風物詩になりうる。

きっと、身近に存在する日常の現代アートへのハードルを下げる余地はまだまだある。
一介のギャラリー勤務なる私にできることは限られているが、お気に召した作品を前に
「素敵だね」
とお客様の笑みがこぼれるのを見、さらに言えば作品をお買い上げいただいて本当に嬉しそうなお顔を見、人と人をつないだ実感を得るのが何より嬉しいから、努力は惜しまない。

日本の現代アートにエールを送ろう。
そしていつか、Tさんが気の効いたドラマの美術スタッフを褒めて、喜んで私に話をしに来る日が、来ますように。

ところで、この文章の中で、「美術」と「アート」という言葉を使い分けた。その違いについては、またいずれ。

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「私が見ている向こうがわ―からだで感じる美術」展 ─光島貴之さんの御紹介─ よいち

Posted on 2月 5, 2008

指先で街を歩く―京都からギャラリィK(東京・銀座)へ[ はじめに ]

光島貴之さんが、久しぶりに関東で展覧会とイベントに参加されます。
私は初日に行くつもりですが、その夜のレビューでは告知に間に合わないので、先に御紹介をさせていただきます。

[ 光島貴之さん ]

初めて光島さんにお会いしたのは、2006年に水戸芸術館の「ライフ展」で、ワークショップと公開制作のためにおいでになった際でした。
光島さんは、全盲です。幼い頃まだ見えていた頃の視覚の記憶を触覚に重ね、「触れて見える平面作品」を創作しておられます。

さて、ちょっとばかり昔話をします。
私は、大学で視覚伝達デザインという専門をとりました。視覚で伝達するというのだから、所謂グラフィックデザインというジャンルよりざっくりと幅広い言葉になります。
私はそこで、道に迷い、多くの情報が視覚で伝達されていることに貢献することよりも
「では、これを視覚に障碍のある人にはどう伝えたらいいのだろう」
と疑問を持ちました。学生としてはなかなかの課題を持ち理解のある指導教官に応援していただいたのですが、残念ながら学生時代に突破口は見つからずに、そのままデザインの世界を離れました。

何年か回り道をして再び美術館にかなり足しげく通うようになった矢先の展覧会で、光島さんを含む視覚障碍者の方との交流がありました。
回り道をしたとしても、正面からぶつかりたかった問題にまた出会うことができたのは私個人にとって特別なものがありました。

そうして、光島さんの作品を拝見しました。

グラフィックを 勉強しながら視覚のない世界に引き寄せられた私には、手で辿りながら平面作品を創作しておられる光島さんに何かつながるものを感じたように思われました。

線・面・点で構成される世界は、日の光を思わせる色に満ちていました。微妙な曲線は精神の繊細さ、指の細やかな動き、心の揺らぎを思わせます。
100色を超えるという光島さんのパレットは、助手の方に「○○のような何色」と指示して使用されます。その行為は、『現在』を表現する時も過去の記憶か らいわばフィルタを通してイマジネーションを膨らませてすくいとったものです。視覚の拘束からかなり自由なイマジネーションであるとも言えるかもしれませ ん。

まず作品を目で観て、目を閉じて触れて、再び目で観ます。それが第一の観賞です。
次に作品を前にして「どう見えた、どう思った」を作者にフィードバックすることが第二の観賞です。そこに光島さんにとっても観賞者にとっても、言語コミュニケーションによるアートの深まりがあると言えます。
私は作者に感想を話すということを超えて何か自分もまた表現をしていることに気づきました。これほど作家と話してみて面白かったということもまたなかなかありませんでした。

さて、今回の展覧会は、見所目白押しです。
上記のようなわけで、会期二日目(2月9日(土)午後)の、光島さんによる公開制作は、音楽とのコラボレーションという観点からもまた大変興味深く、是非お勧めしたいものです。

ワークショップも充実しています。
視覚に障碍のある方と一緒に美術を観賞するギャラリーツアーは、その場に立ってみると自分の言葉というものをもう一度、噛みしめ、眺め回すような体験となることでしょう。
視覚障碍者にも、光島さんのように視覚の記憶がある方と、視覚の記憶が全くなく「色」というイメージ自体を全く持たない方がいらっしゃいます。今回ギャラ リーツアーを行なう << ミュージアム・アクセス・グループMAR >> の一員である、ある方は
「色の名前を言われてもわからないけれど、一緒に観賞をする人の話を聞いて、その感情に乗っかるのが醍醐味」

と仰っていました。

□ MAR
http://www2.gol.com/users/wonder/mar/martop.html

□ 光島さんのブログ
http://mitsushima.txt-nifty.com/
□ 光島さんのページから、展覧会の情報
http://homepage3.nifty.com/mitsushima/mitusima_4.html

[ 展覧会情報 ]

「私が見ている向こうがわ―からだで感じる美術」展
横浜市民ギャラリーあざみ野企画展

平成20年2月8日(金)~2月23日(土)
横浜市民ギャラリーあざみ野

□ 問い合わせ先
横浜市民ギャラリーあざみ野 担当:日比谷、横田
〒225-0012
横浜市青葉区あざみ野南1-17-3
アートフォーラムあざみ野内
TEL 045-910-5656
FAX 045-910-5674
E-MAIL azamino@yaf.or.jp
URL http://www.yaf.or.jp/azamino/
交通アクセス(マップ)
http://www.yaf.or.jp/azamino/access/index.html

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素の自分を掴み取れ よいち

Posted on 2月 3, 2008

電線に縛られる空はそれでも遠い

陽が陰ると、しんしんと冷える空気に思わず、足踏みをする。信号待ちの歩道で、伝統的ともいえる寒さへの反応。
それでは物足りなくなったか冷え込みで理性が吹っ飛んだのか、ある秋の夕暮れに、ピンヒールの靴のまま突然アスファルトの道を全力で走り出した。信号を渡ってもなお走った。

それをきっかけに、しょっちゅうそこら辺で走るようになった。大抵は通勤の途中や買物の途中。体脂肪対策などではない。あることに気がついたからである。
「あの角まで走る」とか、「50mは走る」などという目標は持たないし短距離だからって息も止めない。
むずむずとした衝動を捉えたらすかさず駆け出して、脳の中にむわっと快感が湧いた瞬間『そのとき』に足を止めるのが肝要である。

私はその瞬間の自分を、最も素の自分だと思う。
性格も価値観も生き方も私そのもの、ただし何の感情も持たないフラットさ。感情をかきたてたり吸い込んだりする構えすらしていない状態。
芯はある。なんでも来い、である。機嫌は若干良い。
そして、その状態でこそ芸術作品の前に立ちたいと強く願うのである。

作品の前まで疾走できればいいが、美術館の中で作品の数だけ無心に駆け回るというのは現実的ではない。その状態を身体で覚えて、好きな時に再現できるよう刷り込んでおく方がいいのだ。
緊張が苦手だからって、舞台の上に布団を敷いておく音楽家がいないのと同じである。

作品の展示にはキャプションというとてもとても気になる存在がついて回る。展覧会コンセプトや作家の画歴が展示場の入口に掲示してあることもある。
なんて、重くのしかかる紙一枚二枚。
むろん無視する気はないが、まずは何も先入観や身構えのない状態で作品に向き合いたいというのが十何年も前からの私の願いであった。
可能な限り、文字をひとつも読まずに観て回ってから、あらためて文面や作家に目を向けてゆっくり巡回し直す。それができれば一番良い。

それでも己の無知無学に不安に揺らいでいた頃の私の、そうした観賞の姿勢を応援してくれたのが「なぜ、これがアートなの?」という展覧会だった。
水戸芸術館が川村記念美術館、豊田市美術館と共同で企画し、同名の著作で有名なアメリア・アレナス氏のバックアップのもと1998年から1999年にわたり開催された展覧会である。
もっとも、そういった事情はあとで知った。
何よりショッキングだったのは、何度も足を運んだことのある水戸芸術館の会場内、有名な作品も多く展示されているにも関わらずキャプションが一切掲示されていなかった。当時の私の言葉でいえば「とっぱらってしまった」。
ああ、これでいいのかと思った。肯定されたような気がした。

しかしながら、キャプションとそこにある作品背景や作家の人生はその後も常に気になる存在だった。見まいとしてもつい覗き込んで、果たしてどこからどこまでが自分本来の思考、視点なのかと疑問を抱いた。
とにかく私が最も欲するところの観賞体験とは切り分けなくてはならない。まるで自由に作品の前で泳ぐような、あるいは自意識と感情の海に深く潜っていくような体験、それは一旦作品の前で逃してしまうとなかなか手に入らなかった。

また展示サイドにも、作品は観賞者の自由に委ねるという方法論の一方、作品の背景に関する知識は観賞を深める上で必要という方法論もあり、それらは拮抗しつつたびたび議論を呼んでいることも知った。ギャラリートークにおいては「対話型観賞」と「解説型観賞」と呼ばれる。

美術を学ぶ身になり、一観賞者から観賞者と作家をサポートする立場になり、さらに自分が値踏みさえしなければならない身になりすると、文字列を目に しなくとも作家の経済的背景から生み出される価格やら、技量やら社会的立場やら、考慮せざるを得ないことが多く、仕方なかった。

私の、ただ感情を揺さぶられるというひたすらシンプルな観賞の楽しみはどこへいったのか。

そんなある冬の日に、寒さのあまり走った。これだと思った。
好きな分だけ走って快感を得て、そこで必ず足を止めるのは、それ以上走ると余計な欲が出てくると知ってのこと。
走りやめた時の私は、なんの感情もなく計算もない、32年間生きてただここにいる素の私それだけだった。

ああ、このままビューンと美術館やギャラリーへ飛びたいと、何度思ったろう。
その代わり私は今日も白い息を吐いて突然走り出す。
近所の人が眉をひそめようが、ヒールを排水溝にひっかけようが、走る。
毎日、頭や身にまとわりついてしまうややこしいものを、毎日、片っ端から道に落としていく。
この感じを忘れず、掴みとるため。

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