[いけばな/鋏の音 6] 展覧会 紫苑
Posted on 6月 1, 2008
耳の後ろくらいのところで、ずっと思っていたことがある。 それは、いつでも元の場所に戻れるということだ。長い間培ってきたものはそれなりにちゃんと身体のどこかに蓄えられていて、そう簡単には失われないものだと……。あれからもう一月以上も経ってしまったけれど、ギャラリーバルコでの展覧会に際して、それが大きな間違いであったことに気づかされた。搬入までの時間が刻まれた時、最初にイメージしていたことの影が段々と薄まって、わたしの中では合理的や便宜的なことだけが優先されていった。まず、わたしの住まいからギャラリーバルコまでの距離、作品の運搬方法が目の前に立ちふさがって、テーマである『夢と地形』からイメージしていたものは図らずも遠ざかってしまった。
わたしには生涯テーマとして追いたいと思う素材がある。それは『蓮』なのだけれど、どうしてなのかは自分でも分からないし、説明はつかない。ただ、何かを描こうとか作ろうと思うと、頭の中に蓮が浮かんでくる。人生の中でかなり辛いなぁと感じた時期、何気なく眺めていたのが蓮の群生であった。群生と言っても岡山の後楽園の蓮だから、それなりに人の手は加えられていて自生とは違うけれど、大きな葉の間からすっと伸びた花は、真夏の暑さにも負けず涼しげで気品があった。わたしは背中をじりじりと焼かれながら、その場を立ち去れなかった。釘付けになる理由が何なのか、何故わたしの中にいつも蓮が思い浮かぶのか、皆目見当はつかないが、いつまでじっと眺めていたかった。この理由探しが、もしかしたらわたしの永遠のテーマなのかもしれない。そんなこともあって、わたしは蓮を見るとついシャッターを切ってしまうのだ。
さて、前置きが長くなったけれど、いざ蓋を開けてみると、蓄えられていたはずのものは、身体の中のどこを探しても空っぽだった。日々精進している多くの人々の前で、わたしはまるで初心者のそのまた初心者だった。技術も伴わなければ飛びぬけたアイデアもなかったし、稚拙で独りよがりで観念的な自作品が生まれた時、恥ずかしくて仕方がなかった。身体中から冷や汗が噴出していた。鋏を持とうが置こうが、本当は日々精進してこそ、である。次回も、そのまた次回も、きっと全く同じ思いを繰り返すのであろうが、またいつか機会を与えられたなら、今度こそ観念的でない自分のテーマを追った作品を生み出したいと思う。
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