『バウハウス・デッサウ展』印象 村松恒平
Posted on 5月 16, 2008
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芸大美術館に『バウハウス・デッサウ展』を見に行く。
バウハウスは、建築を主軸とした美術・工芸の学校とその周辺のムーブメントを呼び、デッサウは校舎が移転したときの地名である。
いわゆるモダニズム建築の勃興期にその表現の震源となったような学校であるらしい。
バウハウスって、名前がカッコイイから、みんなスゴい、知っておきたいと思うのだろう。またデザインを学ぶ者であれば、歴史として知っておくべき、ということにもなると思う。
しかし、僕は例によってあらぬことを考えていた。
モダニズム建築だから、直線的な設計図が多い。
僕は直線はあまり好きではないが、きれいに引かれた職人的な直線の数々を見ると、器用な人はいいなあ、と思う。
器用な人と不器用な人には深い深い溝があることを思い出す(学校の技術家庭の時間やプラモデル作り、その他いろいろの場面)。
工芸と美術を結びつけているものは、この器用さだ。
しかし、美術ではなく、芸術となると、必ずしも器用でなくていいように思う。
というか、そう思わないと僕のような不器用な人が絵を描く意味などなくなってしまう。
バウハウスは、この展覧会を見る限り、器用な人の集まりだ。
そして、モダニズム建築が当時、じつに未来的で斬新で輝かしく、どこまでも開拓可能なフロンティアとして感じられたのだろう、ということも作品のすみずみからオーラとして伝わってくるのだ。
そして、この展示では、モダニズムを唯一の光明としてあらゆる美術を原理化したい、という衝動とそこから否応なくはみ出していく多くのものがせめぎあっている。
それはちょっとしんどい光景だ。
ドイツ的だ。
なんとなくテクノポップのクラフトワークを思い出すのだ。
芸大の美術館に居たせいか、芸術の学校とはなんだろう? と考えた。
純粋に芸術で食べられる人がどうせ100人に2,3人しか生まれないなら、芸術学校はもっと多様な芸術的イデオロギーと手法の実験場と化したほうが面白いことになりそうだ。
そういう学校を夢想した。

