シュルレアリスムはなぜ疲れるのか/そして、とに〜さんの講演と塩田千春

Posted on 11月 19, 2007

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とに〜さんが横浜美術館で講演、解説をするという歴史的なイベントに立ち会い、『シュルレアリスムと美術』を観てきた。

シュルレアリスム絵画は、一言でいうと「疲れる」。
シュルレアリストたちが夢見たもの、彼方に行けるという予感の現場は面白いものであったに違いないが、残された作品たちは、どちらかというと、僕を疲れさせる。

シュルレアリスムは無意識世界の探検と開示を意図したものに違いない。そのアイデアを具現しようして、画家たちは、それなりの写実的な技法を用いて奇妙なイメージに具体性を持たせる。

そのために、一枚の絵の中に描写がアイデアに従属して説明している部分が必ずあって、これは無意識的であるどころか、意識的である以上に計算ずくであったりする。
無意識なんてことは表だって言わない普通の絵画より、より目的的な描写になってしまうという逆説があって、その部分が観るものを消耗させる。
通常の絵画のほうがよほど無意識的な養分を多く含むように感じられるのだ。

たとえば、ダリの大道絵描きをテカらせたような見事な描写力も、一人の作家として見れば愛らしいのだろうが、シュルレアリスムという領域で括られた約120点の絵の中で見ると、やはり気を削がれる。

ピカソの『少女に手を引かれた盲目のケンタウロス』という小品だけが、種類が違った。シュルレアリスムの流れの中に置かれてもピカソはピカソだ。

シュルレアリスムは、将棋で言えば、ハメ手のような袋小路だ。
しかし、それにインスパイアされた表現は多様に広がり、すでに歴史になっている。それを否定する気はない。
絵を見る体験としては、さほど楽しいものではなかったが、一度は見ておくべきものだろう。もっと若い頃だったら面白かったに違いない。

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とに〜さんの講演は、映像や音楽も使い約1時間、懇切ていねいな説明ながらも中身のぎっちり詰まったものであった。
シュルレアリスムが出現する歴史的必然性を大ナタで割ったような単純明快さで説明したのは、たいへんわかりやすかった。
こういう思いきりのいい解説は、美術界の人にはできないと思われる。
横浜美術館の学芸員もニコニコ聞いていたので、歴史解釈で容認できないほどの逸脱はなかったのだろう。

シュルレアリスムの見立ては、なんと『みんなの歌』であった。
みんなの歌にトラウマソングというものがあると初めて知ったが、これとエルンストの作品がベストマッチであったのが面白かった。

こういうアプローチを美術館が受け入れるというのは、まことに面白いことである。横浜美術館内部でも好評で、さっそく次回、次々回の予定なども決まっていたようだ。
この動き、注目、応援したい。


横浜では、もう一つ。この講演の前に神奈川県民ホールで『沈黙から』塩田千春展最終日。
芸術的衝動の根拠の一つは、「この世ならぬ景色が見たい」ということであろう。
正気の世界の効率では測りようもない芸術のための膨大な蕩尽と浪費の向こうに、かすかにこの世ならぬものが見える。

『シュルレアリスムと美術』 12/9まで
http://www.yaf.or.jp/yma/exhibition/2007/special/03_surrealism/index.html

『沈黙から』塩田千春展 終了
http://www.kanagawa-kenminhall.com/artcomplex/shiota.html

Filed Under 展覧会, Review

★著者: 村松 恒平
★自己紹介:村松恒平 1954年東京生まれ。【DRAGON ART CREATOR'S REVIEW】編集人。編集者、ライター、芸術家。著書に『プロ編集者による 文章上達スクール』シリーズ(メタブレーン)など。面白いプロジェクトや、お仕事募集中!
★記事データ:掲載日 2007/11/19 at 11:05:35
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