[美術事始余話] 幕末の髷1
Posted on 6月 28, 2007
高橋由一が横浜でワーグマンに油画を学び始めた慶応二年頃の制作とされる「自画像」。まだしっかりと髷を結っていて、由一がただの明治人ではなく「幕末-明治人」であることを見る人に認識させる。
もし由一の画集や図録を持っていて、この「自画像」を確認できるなら、デッサンの狂った魚類系の表情に目を奪われてしまいがちだけれど、ちょっとだけ髷の方を見てみよう。
頭頂部の髪を剃った部分を一般に「月代(さかやき)」と呼ぶ。幕末になると、この月代がグンと狭くなる(正確に言えば、狭く剃る人が出てきた。流行した)。私たちが時代劇で見るたいていの髷のカツラよりも、本当はずっとずっと狭かったりした(もちろん月代が広い人もいっぱいいた)。
由一の自画像の月代部分もよく見るとかなり狭い。幸い、慶応年間にはもう写真術も日本に入っていたから、同時代の人々の姿も白黒写真で見ることができる。被写体の男達の髷の形はさまざまだが、月代は時代劇のカツラよりも狭い場合が多い。
太平洋戦争以前、昭和初期の時代劇のカツラも、幕末が舞台の場合は月代が狭いことも多かった。まだ幕末に若者だった人々が存命だったし、実際に髷をして刀を持って生活していた人の「目」が生きていたのだろう。
もう少し遡って、明治時代の挿し絵で描かれる幕末の侍達の月代も狭い。そりゃちょっと前までは江戸だったのだから、髷がいったいどんなモノだったのか、よく知っている人も多かったろう。
上の画像は、画用紙に黒と茶色の二色のコンテで描いた近作。特に誰を描いたというわけでは無いが、「幕末の侍」ってこんな感じ、という私の中でのイメージだ。ふと振り返ると、この「細い月代」をずいぶんと描いたり彫刻で作ってきたりした。たかが髷かもしれないけれど、現在「当たり前」「普通」になってしまっている様式に、古写真や錦絵と比べて、「本当は違ったんじゃないの?」と疑問を持つ作業は楽しい。「髷」も何回かに渡って作品を交えて紹介したいと思う。
この[美術事始余話]では、文字通り「余った話」をちょろちょろと書いていければ、と考えています。
上の画像: 「幕末の武士」 2007年 筆者(平野太一)作 画用紙、コンテ
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