【思考する目】26「いっぱいの粥」 長島義明

Posted on 6月 27, 2007

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いっぱいの粥、いっぱいの雑炊を求めて人は行列をつくる。満たされぬ空腹、もういっぱいの粥を求めて、再び長い行列の後にならぶ、1時間のちに、やっと手にする2はいめの椀。3度めの椀は、もう、ない。
塩味だけの粥だがどれほどありがたいことか。仕事にあぶれ、現金収入のない身にとって炊き出しは命の綱。古い昔の話ではない。現在の大阪。釜ヶ崎の公園で目にする毎日の光景。知りたくも無い、無関心な人にとり、存在しない日常。広がる格差社会。「ほっとけばいい。好きでやっている彼らの暮らし」でも、本当にそうだろうか。人それぞれ表に出せぬ事情がある。生活保護など夢のまた夢。今日、一日、命長らえる事。それがせいいっぱいの生活。いつの時代にもある。なぜ。
不満を抱く時、不安を感じる時、僕はこの地をおとずれる。生き続ける事の意味合いを再確認するために。
足の裏をかくほどの快感もないアートの氾濫。いっぱいの粥ほどの力もない芸術と云う名の洪水。
何時の間にか花嫁学校のかわりに芸術学校が出来、料理や裁縫の変わりに芸術をするようになった、何をしても芸術である。「貴方の職業は?」  「アーティスト系」  ばかばかしい、やめてくれ。

Filed Under 【思考する目】

★著者: 長島義明
★自己紹介:日本及び世界の人々、風景を40年以上撮り続けるフリーの写真家。著書にアメリカで出版された「One World One People」 「One World One Child」、「阪神大震災」、がある。 写真展「平和だった頃のアフガニスタン」は日本各地で30回以上開催。アメリカ美術雑誌協会最優秀賞受賞
★記事データ:掲載日 2007/6/27 at 14:57:15
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